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人型模型と身体性の回復


出張に行くたびに、同僚(といってもサウンドプロデューサーなんで職位的にはぼくよりエライひと)の机の上に、聖闘士星矢聖衣が増えている。


「曲を作っていて、ストレスがたまるたびに、これが増えて行くんですわっ!」


最近のぼくの出張は、ほぼ毎週なんで、それで毎回数体づつ増えているっていうのは、けっこうただ事ではない増え方をしているってことだと思う。

でも、その気持ちは、すごく良くわかる。
実際にぼく自身、ことしの6月に、1ヶ月ちょっとでムービーを3本仕上げたとき、月末の、もうこれどうしようもないよ、って状況で最後の1本をカッチリ仕上げる際に、気合を入れるために、エキドナ(ダークエルフ好き!)をAMAZONでぽちっと買った。
おかげで、何とか最後まで折れずにもった。(エキドナはちょっと会社では飾れないです。家もムリだけど… キモがられて)

で、こういう行為について、自分なりに分析してみたんだけど、ぼくたちPCを使った制作は、従来の楽器や絵筆という明確なガジェットがない分、バーチャル領域での急激な身体性の拡張が脳に大きなショックをもたらしていると思うのです。それで、その失われた実存領域の身体性を補完するために、こうした人型模型を偏愛するのではないでしょうか?

だから、ワゴンの中のミクロマンを見ると、どうしても救出しなければいけない気持ちになるのです。というわけで、今日の写真は先日神戸のボークスで救出したアクロイヤーのオプトムです。肩にバインダーってオージェからの定型だけど、やっぱりかっこいいね。
こうやって、人型のモノの手や足をはずしては引っ付けたりしているのって、はたから見ると、非常に気持ち悪いかもしれないけど、すごい癒しなのだ。