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キャップハンターの日常

遠くの街へ行くとき、必ず寄る所がある。スーパーでもCVSでもいい。お土産やお弁当を売っている駅のコーナーだってOKだ。
そこに、ペットボトルがあれば。


そう、ぼくもキャップハンターなのだ。


キャップハンターの日本における歴史は、牛乳瓶のキャップ収集にその祖を求めることができるのではないだろうか。ぼくらの子供の頃、多くの家庭では牛乳を瓶で購入していた。学校でも給食に付く牛乳は瓶だったと思う。色とりどりの牛乳キャップを集めるのに、ぼくらは夢中になった。中でも、めったに手に入らないメーカーのもので色や意匠が美しいものは、容易に手に入るキャップ何枚分の価値があった。見せ合ったり、ベッタンにして戦ったり、飽きることはなかった。


あれからだいぶ経つ。最近では瓶で牛乳を飲む機会はほとんどない。牛乳瓶の底のようなメガネなどという不名誉な比喩も、今では懐かしい響きだ。唇の内側に残るあの分厚いガラスの触感をそっと思い出す。失われたモノたち。リサイクルの面でも優秀な流通パッケージだったと思うのだけれど。


そうして、エコロジーのことを考えると、ペットボトルのキャップを集めることに、いたたまれないやましさを少しだけおぼえる。でも、ペットボトルのキャップを集めることは止められない。ハンターにはハンターの本能があるのか、コレクションとはいつもそうした病的な面を持つものなのか、単にぼくがおろかなのか。まぁどうでもいい。とにかくぼくは目新しいボトルがあると、斜め上からキャップへの印刷の有無をまず確認してしまう。


以前、こうした、人から見れば愚かしいまでの第二の本能を身につけている人が、他にもたくさんいると知って、少し心が楽になった。WEBには凄いマニアがたくさんいる。そうした人たちの痕跡を読み取るとき、ぼくは畏敬とそこまで至れない未熟への反省、そして何より安心感を覚える。


良かった、ぼくだけじゃなかったんだ。

キャップハンター紳士録(ちょっと古いけどね)