反復への耽溺
かつて幼少の頃、活字に淫し、LEGOに耽溺し、エレクトロニクス回路製作やマイコンのプログラミングに没頭した。
繰り返し読んだ本。
繰り返し作ったLEGO。
繰り返し握った半田ごて。
反復訓練は、人からやらされると本当に嫌で続かない。
一方、自らのめりこむと、終わるすべを知らぬがごとく、寝食を忘れる。
好きでやっていただけの事。
けど、その反復が生んだ残照で、どうやら今日食いつなぐ。
もちろん運や周りのおかげも忘れてはいない。
長じてもはや、繰り返しに淫する閑はない。
一度読んで終わりの本。
パッケージのモデルを組んでは崩す新セット。
工具箱で眠ったままの半田ごて。
今度じっくりやるよ。
今度っていつよ?多分20年後。
ひょっとすると永遠にない。
「現代という時代において、遊び人が賢者になるための道」を拝見してそんなことを思った。
賢者にはあらず、ただの耽溺。
身体性の拡張には、反復行動という手段しかない。
ただただ繰り返すしかない。
脳にはそれで事足りる。
ポリーニの技巧の極地は、練習への耽溺なしにはありえない。