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枝豆とアフォーダンス

【その一】

2段そぼろ弁当を開けると緑色の豆の房があった。


───これを食べるにはどうしたら良いのかな?」


出張3日目のぼくは、疲れていて良くわからなかった。


───枝豆。


単語がゆっくりと頭に浮かび、やっとどうしたらいいか、ぼくにもわかった。
そう、枝豆なら、親指と人差し指で豆の入って膨らんだ処を大切に挟み、中の豆を房越しにゆっくりと押し出し、房の縁から押し出される豆をそっと唇ではさみ、よく噛んで味わいながら飲み込めばいいのだ。


簡単だ。例え疲れていても、ぼくにだってできることだ。

【その二】

一方、昨日の晩、ミッドタウンの地下のスーパーマーケットで見た、馬の蹄鉄の形をしたチーズを思い出した。
全体が白いカビに包まれていて、そのカビを食べて良いのか、それとも中だけ食べるのか、全くわからない。ひょっとすると依然聞いたかもしれないけど、全く思い出せない。何しろ枝豆の食べ方すら忘れるほど疲れきっているのだ。


その日は、チーズ好きなぼくも、いつも買っているそごうのチーズ売り場より、全体的にちょっと値段が安めにも関わらず、いまいち何か買おうという気になれず困った。


良く考えたら、ムラカワのチーズソムリエさんがいないと、ぼくはチーズひとつ、満足に食べ方がわからないのだ。
まぁ、自分選任のチーズソムリエがいると思うのも悪くない気分なんだけど。

【その三】

そうそう、先日デザインの雑誌を読んでいて、大ヒットしたお茶のペットボトルを担当されたデザイナーさんが、

「ボトルのデザインは、一種のインタフェース。情緒的に面白いと思わせながら、情報を伝えてなるほどと思わせないといけない。その全体をコントロールするのがデザインの役割なのです」

                                     水口洋二(サントリー


とおっしゃっていた。あぁ、本当にいいことをいうかただなぁと、とても気持ちよくなってしまった。


ペットボトルとエコロジーについて考えると、ひどく憂鬱で悲しい気持ちになってしまうんだけど、こういう人が丁寧に考えてものづくりに携わっていたり、素敵なキャップのデザインを届けてくれていたりすると、大量消費社会もまんざらではないと個人的には思ってしまう。そういう気持ちは、とめようがないよなぁ。