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ロケテストの限界

回転木馬のデッドヒートを再読した。
読む前に期待していた、プールサイドである友人に再開する話は載っていない。たぶん他の短編集(中国行きのスロウボートとかね)だったのかな。
この本を読むのは20数年ぶりなんだけど、作品に触れたときに感じる味わいというものは、あまり変らない。それは、自己同一性というか、子供から中年へ、細胞が何十回と入れ替わっても、連続して維持している何かなのかな。アイデンテティ?そうそう「動的平衡」ってやつ?


ただ、色々忘れていることも多い。第一に、この話が実話にもとづいている事は、すっかり抜け落ちていた。書くことは、自己救済にならず、一箇所でただ回っているだけ。まさに、回転木馬のデッドヒート。そんな内容のまえがきがあった。全く憶えていない。


再読して気になるのは、体の衰えを記述する箇所だ。
特に歯のメインテナンスについての記述が2回もあったのが個人的に印象深い。歯は確かに定期的なメインテナンスが必要だ。歯茎のポケットに届く歯ブラシを売ることと、それを使う技術を習得することは別のことなのだ。しかも個人のブラッシングでは物理的な限界があり、専門家の助けなくして、老齢期までそこそこ役に立つ状態で維持するのは難しい。歯が悪いと食事を楽しめず、栄養摂取に問題を生じて、遠からず死ぬ。短絡的かもしれないが、歯に関してはそれくらいの危機感を持っている。


一読して自分の歯の状態が気になりだした。そしてかかりつけの歯医者に予約を入れ、今日は治療二回目だ。先週、歯茎周りのメインテナンスを行い、歯茎の腫れが引くのを待って、今回は虫歯の治療を行ったのだ。
先生が言うには、ぼくの歯は幼少期に虫歯になりやすい箇所をかなり念入りにホワイトシーラントで埋めてあり、非常に虫歯になりにくい状態にあるらしい。それも一種のサイボーグだなと聞きながらぼくは思った。母は歯が悪かったので、子供の歯の治療に熱心だった。歯の矯正まではお金が回らなくてね。一度そんなことを聞いた気がする。先生の話は続く。ただ、このホワイトシーラントは、当時の技術的制約から、二十余年経過とともに素材劣化が進んでいるとのこと。特に口中という高温多湿・高圧・酸アルカリと、かなりのハードな環境で材料がどこまで持つのか当時は誰にもわからなかったこと。特に接着剤からへたりやすく、結果、ホワイトシーラントと歯の間に開いた隙間に虫歯ができやすくなっているので、今後はマメにチェックが必要ということだった。
なるほど。材料の経年劣化という非常に材料工学的な問題を口中に抱えて生きてきたとは全く知らなかった。非常に勉強になった。
さらに、歯や歯茎が、すでにゆっくりと失われつつある現状を指摘して、この話は締めくくられる。


「大げさじゃなくて、歯茎の減退のわずか数ミリの違いが左右するのです。」


「老後の歯の状態を?」


「そう。老後の歯の状態をです。」


おお。なんか村上春樹的だ。日常の小さなことに、大きな心理への法則が隠れている。



ところで、この先生は、なぜか今日に限って能弁だった。
今まで、こんなに話したことはない。なぜだろう。
そういえば、きっかけは最初の一言だった。


「お宅の会社はまだ西神にあるんですか?」


ある。たしかにまだあります。ぼくは答えた。
先生は高校生のころ梅田の第4ビルの地下にある直営のゲームセンターでバイトをしていたこと。*1そして、そこでゲームのプロトをプレーしていたこと。それがこうじて豊中の旧本社社屋*2、へテストプレーをするアルバイトに何回も行っていたことを懐かしそうに話し出した。


「それは、ロケテストですね。」


「今もあるのですか。そういうテストプレーは。」


あります。ぼくは答えた。
しかも明日から。
たまたま翌日から、担当機種の音楽ゲームが、全国4箇所でロケテストの予定だった。
今日休んでいるが、この土日は出勤だ。

ウィキペディアWikipedia)から、ロケテストの説明を引用
ロケーションテストとは、開発中のゲームを一般に公開し、ユーザの意見の取り入れ・ゲームバランスの調整・市場調査などのために行う、いわゆるベータテストの一形態。ゲームセンターの店舗のことを指す業界用語の「ロケーション」と試験の「テスト」をあわせたという説が一般的である。アーケードゲームで良く行われ、「ロケテスト」、「ロケテ」と略されることが多い。市場調査を目的としている場合は、特に「インカムテスト」と呼ばれることもある。一般的なPCゲームにおけるベータテストと違い、プレイには料金が必要。開発中であるため、キャラクターやステージに制限があるケースも多い。ロケテストの結果によってはゲームの開発が中止になったり、製品版稼動時に仕様が大幅に変更される事も多い。


最近少しずつ勉強している「情報デザイン」では、ユーザビリティのテストを、プロトタイピングと呼んでいるそうだ。初期においてはインスペクション法を行い、中期以降にユーザビリティスティングプロトコル解析を行うという。
初期のインスペクション法はさらに2つに分類できる。

  1. ヒューリスティック系 広く浅く 熟練者がプロトから問題点を発見する。
  2. ウォークスルー系   狭く深く 認知科学的行動モデルをベースとして、インタフェースにおけるユーザーのユーザーの認知行動軌跡を推定。

そしてこの中期以降のユーザビリティスティングが、まさにロケテストだと思う。

●上記分類や説明は、ヒューマンインタフェース学会にご推薦いただいた京大の下田先生の資料を参考にさせていただきました。


現場ではこうしたロケテストを経験的・伝統的に実効力があるから継続しているが、上記のような学術的バックボーンはほとんど意識されていない。資料にあるような明確なチェックリストや評価基準もなく、暗黙知集合知で分析、フィードバックを行っている。この業界ではまだどこもそう変らないのではないだろうか。
もちろんそのこと自体に大きな問題はない。多少原始的であろうが、ユーザビリティスティングを確実に、愚直なまでに行ってきたことが、任天堂が見切りを付けたアーケード業界で生き残ってこれた大きな理由だとぼくは確信している。お客様は常に正しいのだ。


そういった、ロケテストの素晴らしさとは別に、「試作を作らない会社」というものもある。
日経ものづくり2007年6月号の巻頭インタビューでリコーの代表取締役である近藤史郎さんが「試作レスが技術を鍛える」と題して述べておられる。
試作を作らないというのは、現場レベルではありえない事だ。よく読むと、リコー社内でもかなりの反対があったらしい。


「経費を削減するために試作機を減らすと、みんな勘違いしていたみたいですね」


近藤さんは述べている。
開発チームがプロトを徹夜で作って、テストをしても思うような品質の製品ができない。
作り直しの現物あわせをいくらやっても目標に届かないことがわかった。骨身にしみて判った。
だから、新しいプロセスを探す。
そういうことの結果が、試作を作らないということらしい。
品質を極めるための技術を磨くため、試作を作らない。


それには思い当たることがある。
昔のゲーム制作の現場は、手元の端末で最終の絵の確認なんてできなかった。
実機での確認は、プログラマーのメイクの果てにあり、効率を考えると、そう何回も何回もテストなんてできなかった。
それでも複雑な演出を、頭の中で想像し、数回の実機出しで最終まで寄せて行った。そういう環境がデザイナーの頭を鍛えていったと思う。
これは「何回も試作を作らないという思想」に通じるように思う。


グラフィックデザインの世界でもDTPの発達により、すぐに色を確認できるようになった。
もうこんなことを今さら言っても仕方ないんだけれど、昔は白黒の版下を作る時点で色指定を頭の中で考えて、トレペの上からサインペンで記入していたものだ。色は色校で始めて分かり、色校で想定外の色になっていて修正をしなければならない状態は、デザイナーにとって恥とされていた。そういう感覚はまだ残っているのだろうか。
今、たまに2色印刷や特殊紙への印刷をやらせると、最終の状態を思い浮かべようと、頭をうんうん唸らす羽目になる。
現物であわせることは大切だが、それを極限まで減らす努力は技術を鍛えるというのは本当だろう。


うまく行っている間はそれでいい。
うまく行っているものを変えるのは愚かなことだ。実際、反対する人も多い。
けど、現状ではダメになったとき。危機に瀕したとき、新しいプロセスを見つけないといけない。

その時のためのネタを日々ストックしておけたらと思う。
そうした、危機に出会わず、ネタを使わず、定年まで勤めて、退職後はのんびり農業をしたいんだけどどうかな?
まぁ天命だし、どうなるかわからないよね。


そうそう。最初の質問の後、歯医者さんはこう続けた。


「良い会社にお勤めですね。」


少し驚いたが、やっとこう言ってもらえるようになって来たんだなぁ。
もちろん、その発言の理由、真意は分からない。
けど、まだやるべきことはたくさんある。

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*1:正確には、先生の友人が。と言い直された。

*2:残念ながら、ぼくも写真でしか見たことがない。