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雛祭り・人形は人型

歳時記カレンダーによれば、

人形の歴史は古く、古代中国の風習に由来し、祓(はらえ)のための人形に供物を捧げて水に流した。各地に残る「流し雛」が原型である。一対の人形を夫婦に見立てて「ひいな」と呼び、人形遊びの道具とした。『源氏物語』にも「ひいなあそび」が多く登場する。段飾りで華麗さを極めるようになったのは、十七世紀後半、綱吉の時代からである。

ご先祖様が始められた営みを、日常の遊びの中に取り入れ、発展させているという意味で、ぼくたち人形好き、そしてその作り手たちは文化の伝承者といえる。


しかし、最初から男女ペアだったんだね。考えてみれば。
平成ミクロマンのMICROLADYやSISTERがいっぱい出て、「萌え々えし過ぎでやってらんないよ。ミクロマンオワタ〜。」と怒っていた人がいっぱいいたけど、歴史的に考えれば始まった状態に戻っていっただけなのかもしれない。
ただ、トイザらスのMICROMAN売り場が、女性素体売り場に変容しているさまは、ちょっとやりすぎだったなとはぼくも思う。しかもLLバストの紺や茶色の素体ばっかりだったのは、明らかに売り手が買い手のニーズを読み間違えていたよね。
いずれにせよ、それももう見られなくなるのかな。こないだ住吉のトイザらスへ、何回目かの売れ残り回収業務に行って来てそう思った。*1


話は変るけど、ロボット制御の世界で、全体の形状が人間に近ずくほど、動きが人間に近づくというのはとても面白い。

ロボットから考える、身体性としての構造が持つ意味


こういう話を知ってグレンラガンを見れば、「螺旋エネルギーを最大限に発揮できるのが人型」というのも何か説得力を持ってくるから不思議だ。

ちょっと関係ないけど、グレンラガンの作画が見れます


人型の形状が、人を人たらしめているとすれば、ヒトの身体性は人型の形状に大きく依存しているということになる。インタフェースの研究・開発において、ともすると、身体性の拡張は、異形異種を目指しがちなんだけれど、既に完成された人形という形状を再度見つめなおしたい。
義肢を選ぶときに、見かけ優先で動かない「装飾義手」と、自分の意思で動かすことができる「能動義手」では、大多数が「装飾義手」を選択するという。色々な事情はあるんだけれど、人間の人型というものに対して強く志向する性向は理解しないといけないと思った。

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*1:気ぐるミクロ昭和ガメラとか買ってみた。あとは適当にいくつか回収。