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海岸ビルヂングの思い出


元町商店街から観光客風に南京町を通る。南京町に来るなんて何年ぶりだろう。案外地元でも来ないものだ。とにかく忙しすぎるのだ。大丸の横を抜け、農協の横をさらに海岸通まで下る。ある時点から急に潮の臭いが鼻腔に届く。海は見えなくても多分そこにある。海岸通を西へ曲がる。高速道路に切り取られた空を見上げる。ブリジストンの赤と黒のマーク。そうだ、あのあたりだ。


やがて海岸ビルヂングが見えてくる。ここへ来るのも何年ぶりだろう。1911年(明治44年)に建てられた古い石造りの建物。入り口の石段をのぼる。入ってすぐにある左への通路に一歩足を踏み入れて驚いた。



白く塗り替えられた壁際に、薄い洋服が並んで吊り下げられている。ヘルベチカ体3文字の店名。つややかな髪に肌の白い若い女性の店員。


ここにかつて小さな印刷会社があった。ぼくが初めてデザインした、拙いのだけれど、初めて見よう見まねで紙の版下を組んだ本。その本の印刷をお願いした印刷会社がここに存在していた。


当時勤めていた会社では、小規模な印刷会社をここ以外にも何社か使っていた。けれどぼくは、ここのI社長のことがなぜか好きで、できるだけこの会社に仕事をお願いしていた。そのうち、個人的に何回も印刷を発注しては、失敗を繰返しながら色々な印刷に関わることを実施で勉強させてもらった。



ハイデルベルグの4色機があって、その傍らでは薄いねずみ色の作業着を着た印刷工がせわしくインク壷を調整していた風景。広告代理店や、印刷会社から来たスーツ姿の営業が、仕上がったペラモノを車のトランクに積み込むため、通りに面した入り口を出たり入ったりする様子。ドカッという、断裁機の音ですらまだ脳裏に残っている。そうだ。確か小物中心のため、綴じ機はなく、断裁機のみだったんだ。だから、ぼくたちの本はどこか別の会社で無線綴じをしてもらったのだ。



I社長や奥さんが、伝票や色見本帳に囲まれて座っていた小部屋はレジになっていた。そういえば今の勤務先においてあるDICの色チップ。あれは、当時勤めていた会社のデザイナーたちに知られたくなくて、こっそりIさんにお願いして取り寄せてもらったんだっけ。プロのデザイナーになりたくて必死だったあの頃を突然思い出す。



喧騒は過ぎ去り、穏やかな春の日差しの中でゆっくりと服を選ぶ女性たち。いや、感傷は無意味かもしれない。だってこのビルは最初から印刷会社だったわけではないし、このブティックもこのまま永遠にあるわけでもない。



かすかな痕跡を探すように、壁や天井に目を走らせる。
かつて、オフセットのアルミ版を感光させるドラム状の機械があった小部屋でカミさんは嬉々としてアウトレットの服を3着選んだ。


ぼくはその服の代金をクレジットカードで支払った。





そういえばフィルム製版をする会社がこの建物のどこか別の場所にあった気がする。写植屋。製版屋。みんな目の前から消えた。そして、不勉強でめんどくさがり屋で不愉快な営業しかいない大きいだけの印刷会社が残ったのだ。やつらは平気で2色の原稿をCMYKに分解したがる。おかげで色校で文字校をする恥知らずがクライアント様としてのさばる始末。両者とも軽蔑に値する。



いやでも、きっとどこかで、ひょっとしたらすぐ近所で、小さな印刷会社や色校正屋さん。製版屋、刷版屋や写植屋が、箔押し屋や製本屋が、そう、もちろんデザイン事務所も全部一箇所に集まって働いているのかもしれない。「しょうがないなー」といって墨版をストリップ訂正したり、かさかさ音をたてて広げた青焼きを赤鉛筆でチェックしたり。フィルムに10%刻みの網をいれたり、赤いフェルトペンでトラッピングをちょんちょんとフィルムに直接修正しているのかもしれない。午前中は暇そうにみんなで喫茶店に集まったり、急に午後から忙しくなったり、夕方少し残業してみたり。インクの臭いが沸き立つ、そんな幸福な風景がまだどこかにあるのかもしれない。