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グラフィックス私見

インフォグラフィックのワークショップが無事終わりました。


参加者のみなさんに色々質問したり、されたりして、私もたいへん勉強になりました。*1

イデア中心主義デザイン

表現はアイデアに従属するというのが、デザインする上での私の基本的な考え方。スタイルは国や時代によって流行りがあるので絶対ではないけど、達人クラスか超人的に描ける天才新人以外はまずこれで問題ないはず。


ちなみに、

デザイン = 表現 + アイデア

ではない。必要にして、十分ではない。
右辺にはクライアントの意向や、突発的な社会情勢、マーケット固有のカルチャー、何でも入る。もちろんネタも。
ただ、ネタはいやしくも表現で食おうという人間なら、日々集めていて当然だし、必死に集めたネタもクライアントの一言で使えないことは常識なので言うことすら気がつかなかった。


言葉足らずで反省していたら、昔ペヨトルの今野さんが先生をしていたエディトリアルの学校で本を作るプロセスを説明してみろといわれ企画を抜かしたのを思い出した。企画なくちゃダメだよ!って。自分にとって、あってあって当たり前でも、人にはそうじゃないことを説明するのが教育なんだよな。やれやれ才能ないな。

イラストレーション

ワークショップではインフォグラフィックスを作ろうとして、イラストレーションになっているチームが多々あったため、イラストレーションについての説明。


────マガジンハウス、POPEYE初代アートディレクターの新谷さんからいただいたメモから。

デザインは妄想の中からは生まれない。
デザインは必要性の結実として生まれる。
妄想というあいまいな領域とは全く別の所から生まれる。


ここに純粋芸術のような印象を受けるイラストがあると、境界がはっきりしないように感じられるが、それもそういう印象を与える絵によって、必要性を満たそうとしているだけのことで、デザイン上の一方法論なのである。芸術上の切実さから出てきている形ではない。


特にデザインの中でもイラストはそうで、イラストに求められるのは<○○らしさ>ではないか。古典主義らしかったり前衛的らしかったりする。
小説のさし絵などでは特にそれがよくわかる。
デザインの仕事は外からの注文によってのみ始まる。由に貧乏デザイナーという言葉は成立しない。貧乏絵かきはいるが。*2


ゲーム会社で新人採用の面接をしていて「キャラクターイラスト」の仕事を志望する方の何と多いことか。そしてその先に道はないのだとはっきりいうことが面接での我々の最初の仕事なのだ。上記の通り、小説、最近でいうライトノベルイラストレーターが人気なのも頷ける話。


この記述が書かれてから20年が経過した。日本のイラストレーションのシーンは大きく進化して、何らかの外部の技法や引用に拠らない、独自の表現を新たに開拓した作家も現われてはいる。それでも、あらゆる表現は既に出し尽くされ、今はそれを組み合わせ、意味づけをすることにしか新しさを見出せないということが、マンガにしろクラシックにしろハイアートにしろ前提条件ではないだろうか?
こうした状況下では、特定のイラストレーターを目指していてはイラストレーションでご飯は食べれない。「バランシュを目指していてはバランシュを超えれない」のだ。


イラストは非常に便利な日本語ではあるのだけれど、数多くの才能あふれるイラストレーターの先人たちへの敬意から「イラストレーション」という言葉を私は頑なに使用していることも最後に付け加えておく。メールを書くときタイヘンなんだ。w

広告とインフォグラフィックス

あまり意味はないけどちょっと分類なぞ。

information Graphics

やってみてわかったこと。

*1:デザイン。特に、グラフィックデザインは本当に好きで色々書いちゃいますネ。もともと私は好きが高じて独学でデザイナーになり、しかもグラフィックから映像、WEB、ゲームGUIと節操もなくやってきたので、この道何十年という重みは全くナシ。だから、参考程度でお願いします。

*2:このすぐ欄外に原田談と手書きで追記がある。オサムグッズで有名な原田さんが、ファインアートをプライベートで追及されているのはこういうわけだとお聞きした記憶がある。