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今年最後に始めること

四十を目前に、武術を始めることにした。
昨日、芦屋の体育館まで合気道のお稽古の見学に行ってきて、とても良かったので決める。道衣も早速お願いした。だいたい家から1時間。週に1度なら何とかなりそう。


どうもここ数年人気らしく、特に昨日は他にも見学の方が2名いらっしゃっり、いつもより先生の説明が多かったとのこと。「足さばきは、頭上からの視点で、平面座標上でどんな運動をしているか想像するように。」と内田先生。なんか3Dソフトのトップビューを思い出す。ベクトル演算だ。必ず左右同じ事をする。動きが数学的なことは予想していたが、体感すると思った以上で嬉しい驚き。


先週の金曜に相談したら、「では、早速、明日行きましょう。」と言ってくれた同僚のSTONE氏のご紹介と言うことでほとんど緊張せずにすむ。さらに彼のお陰でとても雰囲気が良いのもありがたい。ちなみに、帰りに寄ったみなさん行き着けの喫茶店「ふるふる」のドライカレーは300円プラスで2倍近くになる。彼はどこでも大盛りなのね。(少し控えめなんてとんでもない!)


さて、なぜ、今頃そんなことを始めたかについて。
個人的なことなんだけど、尋ねられる極々身近な方へと、いつものように備忘録として記載。


お盆からずっと続いていた長い鬱は、お祭りのお神輿を担ぐことできれいに祓われた。


「まさに神様のお陰。神事だ。」とぼく。


「神に頼らず、脳の状態を元に戻す手段を手に入れるべきよ。」とかみさんが言う。


「武道とか格闘技とか、とことん体を酷使することで、頭を空っぽにすると良いと思うの。」


確かに、4tもあるお御輿を人力で担ぐのだ。人体への負担は大きい。しかも大声で拍子をとったりお囃子を歌ったりと無意識にパラレルなタスクを大量に処理している間、頭は空っぽである。同じ状態を人為的に発生させればいいのではと言う推論は成り立つ。


「ボクシングがいいと思うの。男って、ボロボロになるまで殴り合えばスッキリするんじゃない?」

(1)ボクシング

大学の1回のときに盛んに勧誘されたが練習を見にも行かなかったことがあるだけで、後は全くぼくの人生に交差しなかったスポーツ。
ネットで調べてみたら、神戸にもいくつかジムがある。「あしたのジョー」や「がんばれ元気」は熟読したが、なんだか、どうにも続けられそうにない。続けないと意味がないのだ。

(2)ボルダリング

花博のバイトをしていたときから初めた。確か、花博内の何かの施設内であって、バイトの後に通っていた。花博も終盤で大会があり、何と準優勝しスイスアーミーをもらった。もう少しで新聞に載ったんだよなぁ。就職後も神戸の山岳会に入って、近所の王子公園の屋内の壁に何回か通ったんだけど、半年ももたなかった。
勤務先のSNSボルダリングのコミュがあり三ノ宮に施設があるのはちょっと前から知っていた。探せば誰か共に行ってくれるかも知れない。

(3)コナミスポーツ

うん。勤務先のグループ会社なので、確か月に2回までは無料で行けるんだよね。新しく新長田に施設ができたので、前よりも近くなり通っているスタッフも多い。水泳は中学までやっていたし、ウェイトリフティングは大学のとき、毎週京都・大将軍にある体育館まで通っていた。今ならプロのインストラクターがきちんとしたメニューを作ってくれるはずなんだろう。

(4)合気道

で、合気道。同僚のSTONE氏が毎週お稽古に通っていたのはずいぶん前から知っていた。彼から話を聴く合気道の精神性みたいなものや、STONE氏の普段の落ち着いた物腰から、継続して興味はあったのだが、なかなかやってみようというところまでは行かなかった。高校のときに買った柔道着だって去年捨てたくらいだ。


目的は「身体をうまく使うことで、脳の機能を瞬時に切り替える能力*1を身につけること」と再定義してみる。
身体と脳は対立するのではなく、また、意識と無意識はただ脳のみに存在するのではなく全身に偏在するのだとすれば、どの道を通ってもゴールは同じかもしれない。
ただ、道具としての身体*2を、より良く使いたいと思う。というか、使えないとまずいのだ。


そんなに良いナイフではないのはわかっている。ただ、きちんと手入れをしておかないと、大事なときに使えないし、周りの人にいらぬ怪我をさせてしまう。それではマズイのだ。

*1:脳内の化学物質の分泌の状態を少し変えるだけでいいのだ。人間は所詮化学物質の詰まった皮袋なんだと思う。

*2:これには脳を含む。