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年の瀬につらつらと


今年は東京出張が多かった。たぶん平均して月に2.3回くらい。一年間に移動した距離を計算すると、年間で26000kmくらいになるようだ。赤道あたりだと地球は一周できなそう。北緯35度あたりなら一周いけそうな気もしたけど、図を書いてみたらやっぱり無理っぽい。


地球から急に小さな話になるんだけど、新幹線のきっぷは都内の指定の範囲内(東京都内無料圏内 しかしEX-ICはこの表が不要になる2011/08/27)までならどこでも下車可能。これが会社の清算時に後ですごくわからなくて困っていたんだけど、便利なページがあったのでリンクしておく。モバイルスイカだと使用した運賃を表示できる。だからそちらでもいいんだけど、やっぱり一覧表を見ると安心してしまう。


一寸話はとぶのだけれども、こうした特例を事細かに決めるJRも、また運賃の精算を決裁書で几帳面に提出させるうちの会社も、一覧表に安心を感じるぼくも、元は同じ大宝律令に起を発する文化的背景に実直に従っているだけということらしい。

それまで口頭で行われてきた命令や報告を、すべて文書によって行うことを原則とする徹底した文書主義を採用した。
                       「日本社会の歴史〈上〉 (岩波新書)」〜網野善彦


ここ10年で公式な文章の電子化は大きく進んだ。けど、文章がメールやNOTESになっても、運用マインドはあんまり変わっていないよね。


ところで、発令当時、急に漢字の読み書きが必要になって、各所で熱心に文字の学習をしていた証拠の木簡なんかが出土されているらしい。ただ、このブームは、単に立身出世のためというより(お受験狂騒に見るように全くないとはいわないけど。)、新し物好きというか、何か珍しいモノに夢中になっていたり、唯々熱心に学習する性を発揮している面があるように思うんだよなぁ。


というのも、こないだ、面白い人にあって聞いた話がとても印象に残っているからかもしれない。その人は、ムーヴィや3Dのモデリングなど、ゲームや映像の素材を請負制作されている会社の人なんだけど、国内の営業は数名で、後は全てアジア各国に現地法人を設立しているらしい。そういうパターンは最近良く聞くようになって、再びアジア圏の往来が盛んな時代になってきたなぁと思うがそれは別な話。
さて、その会社は、おなじみの上海、天津、韓国などに最初は拠点があったけど、それらの地域は経済の発達に従い、賃金が上がって来ており、現在はもうペイしない。そこで、拠点がどんどん南下するらしい。ダイナミックだよな。南へ、タイやマレーシア、そしてベトナムへっていう感じ。かつての繊維メーカーが歩んだ道でもある。


その人が言うには、日本人は特殊だという。


「ほっといても、深夜まで働くのは世界中で日本人だけです。」


いや、やっぱりそうなんだと思う。
モノとか道具に対する偏愛や、転じて「表現の主体」より「手法」への没入。作業自体に淫する行為。人種や国民性の優劣ではなく、単なる文化的な特徴として、こうした傾向を日々感じることがある。我々は、決して対価のためだけに働いているのではないんだよね。働くこと自体がものすごく好きなのだ。
良い面を見れば、熱心で向上心や工夫が無尽蔵にある。悪い面を見れば、手法をぐじぐじ触っているばかりで、マネばっか。結局のところ、オリジナルな表現の主体というコアがない。


なぜそうなのかは良くわからない。今のところ、極東に大陸からちょっと離れた、豊かな自然に恵まれた土地で、暮らしてきたからかなと思う。
それはそれで幸せなんだよな。

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