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一見謙虚にみえて、実はたんなる傲慢

予告していました、IDEA NO. 334 : 漫画・アニメ・ライトノベル文化のデザイン〈前編〉の紹介です。

漫画やアニメ関連の装幀,グラフィック,パッケージがいちじるしい変化を見せている。
キャラクターを配置するだけの画一的なものから,より内容に即したこまやかなデザインへ。それまで「二の次」とされてきたデザインは,作品世界の一部を担う装置となった。
さらに,イメージ,文字,装飾などの諸要素が地と図の別をこえてからみあうこれらのデザインは,西洋由来の「モダンデザイン」の文法にとどまらない豊かさの実践となっている。
イデア334号ではこれまで顧みられてこなかった,漫画,アニメ,ライトノベルをめぐるデザインの流れの一端を,代表的なデザイナーたちの仕事とインタビューを通じて提示する。

               ───────誠文堂新光社「アイデア」WEBサイトより


一読して、衝撃を受けた。ショックで寝込みそうになった。w
これは非常に優れた視点であり、従来の国内デザイン論評でほとんど取り上げられなかった貴重な特集となっている。
雑誌という媒体は、だからおもしろいのだ。


特に、有限会社よつばスタジオ里見英樹氏のインタヴューは示唆に溢れ優れたものだったと私は思う。
いくつか引用したい箇所があるとかねてから思っていたのだが、本号が人気のあまり売り切れている様子なので、可能な限り転載してみる。
これは多くの現場の人に読んで欲しいと心から願うのです。


作品世界を少しでも良い形でユーザーに伝えるために、編集やデザインができることは多い。環境を嘆いたりする前に、実現可能なことから戦いを始めよう。
私自身、音楽ゲームという、きわめてドメスティックかつ辺境のデザイン環境で、10年近くアートディレクションの成立に少なからぬ努力をしてきた。その中で編集とデザインの狭間の仕事をずいぶんしてきたと思う。多くの人はデザインに関心はあるが理解はなかった。それでも私を信頼してくれた人々に、私も強く感謝したい。そういうわけで、里見氏の見解にささやかな紐帯を感じてもよろしいのではないかと思っています。


文末の「自分がいなくなっても正常に機能する組織を目指すのは、一見謙虚にみえて、実はたんなる傲慢に過ぎない」という言葉は、本当に今の自分の気分に一致します。里見氏とは一歳違いなのですが、まだまだ辞められないんですねぇ。

───まずは、よつばスタジオ成立の経緯を教えてください。


(里見氏)最初に会社を作ろうと思ったのは、あずまきよひこが「あずまんが大王」のコミックスを出すときでした。あずまがこれから漫画家としてやっていく際に、それをサポートするシステムが必要だと感じたからです。漫画家は漫画を描く以外にも、作品から派生するさまざまな作業に目を適さなければいけません。コミックスはもちろん関通グツズの制作や雑誌の記事展開、それに販促物とか。作品の人気が出るほどそういった作業は乗算的に増えていきます。当然、それらを編纂部におまかせすれば手間はかからないし、普通の漫画家はそうしているのですが、あずまの場合は少し状況が違っていました。



───具体的にいうと。


まず、作品に対する当時の担当編集者の意向が、掲載雑誌がそうであるようにオタク層に向けた狭い作品であるという認議でしかなかったこと。それはある側面では正しいのですが、そこだけしか見ていないとその先にある読者を逃してしまいます。とくに「あずまんが大王」は遠くの読者層もイメージしながら作っていたので、作品の露出方法をある程度コントロールしないと、想定した読者以外に届かない恐れがあります。口コミにも限界はありますしね。掲戯誌の読者以外の人が作品と出会うのは、書店のコミックスの平積みであったり、販促物やグッズであったりと、「作品そのものを読んで作品を知る」という幸せなケースは減多にありません。なので作品以外のところで露出されるイメージはしっかりと計算する必要があったわけです。数十万致百万部単位のメディアで連戴しているのならまた戦い方も邉うと思うのですが、露出の少ない雑誌連載でコミックスを売ることを考えると、作品以外の場所で目に映るものや手に取るものだけが頼りになるメディアなんですよ。だからそこでの展開は作品制作と同等のカをかけなければならない。それは今やっている「よつばと」でも一緒ですが。



───自分たちでイメージをコントロールしたかったというわけですか。


本来であれば、作品の意向をしっかりと伝えて編集部にやってもらうのが正しいのですが、説明するよりも自分たちでまず形にしたほうが早くて的確だし、なにより周囲との軋轢が少なくてすむので。「なんでわかってくれないんだ」と文句を言って孤立するよりは、ひとつずつ結果を積み重ねるほうが作品にとっても幸せですしね。



───幸せというのは?


売れるということば望むと望まざるに関わらず力が付随することであり、とくにマイナーな作品は売れていく過程でその力の使い方を誤って作者や作品ごとダメになつてしまうケースがよくあるので、それは避けたかった。作品展開に関するいろいろな事情は、社会性という便利な言葉に身を包んで無遠慮に押し寄せるのですが、作者はそれをすべて個人で受け止めなければならない、それを笑韻や達観でやりすごすのは漫画家にとつて必要なスキルですが、そういう不毛なスキルを場当たり的に身につけて鬱屈させるよりも、作家の側にも会社というワンクッションを置いて身を守ったほうが健康的に作品が送り出るるのじゃないかなと。
こういうクッション役をするのは通常は担当の編集者なのですが、よほどバランス感覚のとれた人でない限り、編襲者自身も「会社と個人の間での葛藤」というシーソーゲームを始めて、絡局は作品に無駄な負荷がかかってしまう。その際に、漫画家側にも会社というシステムがあると、お互いに割り切れるところが多いぶんより作品作りの本質に近づけるわけです。もっとも、こういった心配は作品が売れてからはじめて生じる問題なので、コミックスが出る段階で悩む必要はまったくなかったわけですが。だけど作品が売れてからでは遅いんですよね。ヒットする過程でなし崩し的にできたシステムは、崩壊するか拡散して自然消滅するかのどちらかですから。



───そしてよつばスタジオができた。


と言っても、よつばスタジ漫画を売るためにシステムを作ったわけではなく、あずまの漫画家としての力量と当時の状況があったからこそ、こういう会社になっただけです。当然自分で会社を作ってオリジナルの作品を発表していきたいという欲は私も持っていたので、そういう意味ではいろいろタイミングが良かったのかもしれません。



───そもそもあずまさんと仕事をはじめたきっかけは?


私が個人事務所として編集プロダクション的な仕事をしていたときに、あずまに漫画を依頼したのがはじまりです。当時はアニメ関連の仕事を中心に活動していたので、パッケージに封入する解説書を制作する際に、それに掲載する漫画が必要になったんです。あずまの漫画は以前から知っていたので、いつか仕事を頼もうと恩ってました。あずまは漫画家として駆け出しだったし、私も漫画編集ははじめてだったので。お互いに手探りでいろいろなことに挑戦できた覚えがあります。まだ自意灘をどうやって世に出してよいのか無自覚なと割に、少しずつ世間に認められていくという、こそばゆい初期感覚を共有できたのは、仕事仲間としてなによりの宝ですね。この気持ちさえ大事にしていれぱ、成功しようがしまいが、あとはお互い成長するしかやることば残ってないわけですから。



───いいこと言いますね。


きれいごとを言うのが好きなんですよ。現実にはそのうち作品の権利をめぐって、周囲が目を背けたくなるような醜い争いをするかもしれません。



───期待してます。


期待は裏切ったほうが面白いので、表面上は仲がいいですけどね。



───話を戻してくれませんか。


ああ、はい。で、あずまと仕事をしていくうちに、1冊にまとまる分量の原稿がたまりまして、「あずまんが」というアニメ原作のパロデイを集めた本になりました。私はそれの企画・編集・広告制作とかをやって、なんとな<お互いの今までの関係の総決算みたいな感じになったので、じゃあ次は一緒にオリジナルでなにかやろうじやないかと。その時に生まれたのが「よつばと!」の主人公の「よつば」でした。それをちょこちょことネットで発表しているうちに、「あずまんが」を見た出版社の人から声がかかり、雑誌での連載がはじまったのが「あずまんが大王」です。出版社がついたのであれぱ、私の役目はなくなるので心情的なスタンスはあずまから遠ざかりました。



───しかしその後、一緒に会社を作ることになるわけですが。


アニメの仕事をしていると、必すプロデューサーという立場の人がいて、その人が作品に関わるすべて、つまり作品の内容やスタッフのケアはもちろん、展開案や告知方法まで仕切っているんですよ。まあアニメに関わらず一定以上の現場の仕事には必ずいる役職ではありますが。それが出版社にはいなかった。敢えていえぱそれは糧集者の役割なのですが。だいたいどこかで責任が転嫁されて、いろいろなことが「まあ仕方ないか」で流されてしまい結果として作家や作品のストレスにつなかってしまう、これは別に編集者の怠慢というわけではなく、たんに漫画出版のシステム的な問題なので責めているわけではありません。
見えないところでそういう細かいことをしっかりやつている編集の方もたくさんいますし。
で、当時はあずまの漫画をいかに世間に出すかばかりを考えてて、なぜかぺタ塗りやトーン貼りを手伝ったりするぐらいだったので、漫画以外のことで漫画家を楽にして、なおかつ商品として破綻なく作品を送り出すにはどうしたらよいかによく頭をめぐらせてました。
具体的に言うと。「あずまんが大工」をしっかりと終わらせて、「よつぱと!」につなげていくにはどうしたらよいかを考えてたわけですが、自分がプロデューサー的な立場になって一緒に会社を作れば問題は解決するのは分かっていたものの、実際に腰を上げるまでにしばらくの時間がかかりました。



───なにを迷っていたんでしょうか。


基本的には必要がないポジションだからですよね。もし本当に必要なのであればすでにそういうシステムは確立しているわけですから。漫画家と出版社の間に怪しいプロデューサー的な人がいるのは進行上、鬱陶しいだけの立場になりかねない。そうなってしまってはそもそもプロデューサーを設定する意味がなくなつてしまう。それに売れないうちまだ便利屋さんとして重宝するかもしれませんが、同じことをやっていても、売れたとたんに「調子に乗ってる口うるさい人」に扱われかねないし、実際にそういう人になる可能性もある。
あずま関連以外にも、出版社とは仕事をしているので、厄介な人間に思われることは自分にとってデメリットでしかありません。会社を作ってリスクを背負うよりも、適当に漫画家や出版社から距離を置きつつ「漫画って作るの大変でずよね」と業界通を気取って、フリーの立場の弱さを免罪符にネットで理想論を書いて出版業界を批評しながら、漫画家とのつきあいを吹聴したほうが楽だし、たふん会社を作らなけれぱそうなっていたと思います。



───卑下しすぎだと思いますが。


人は周囲の状況によって善にでも悪にでもなりますからね。悪くなる方向のことを必要以上に警戒するのに越したことはありません。ベストを目指して、ベターを選んで、ワーストを避ける。そんな感じです。



───うまいこと言ったつもりですか。


そのつもりですが。



───会社を作ってからの苦労とかがありましたら。


あずまの漫画が大き<なるのは分かっていたので心配はなかったのですが、その際に会社としての自分のカを本当に役立てられるかどうかは不安でした。プロデューサーと息巻いたところで、所詮はフリーの編襲者ですから。分からないことは分かっている人に頼るのが一番正しいので、本当にいろいろな人に手助けしていただきました。苦労するのは想定していたものの、こんなに多くの人に感謝することになるとは思ってもみませんでした。
あと漫画家の場合、ある程度ヒットしてから逆算的に会社を作るケースはありますが、初期の段階で組織化することはほとんどないので、周囲にうまく認識してもらうことにはすごく気をつがいました。幸い、私はデザインの実作業もやっていたので、とりあえず「漫画家と仲のいいデザイナー」ぐらいに思われておけばカドが立たないので、それはよく利用してましたね。役職を誇示するためにプロデューサーを設定したのではな<、結果として作品が望む状況になっていれば問題はないわけです。



───デザインを編集者がやるのにはなにかこだわりが?


それはたんに予算とスケジュールの都合ですね。装丁はある程度ギャランティの相場が決まっていますが、それ以外のデザイン料は最低限の版下代しか発生しません。予算と時間のない状況で人に作業をお願いするよりも、自分で処理するほうが効率がいいんです。もちろん、デザインにお金をかける必要がないという慣例からこういうシステムになっているわけなので、不濡はありません。高いギャランテイを払ってデザイナーに中途半端な気をつかい、焦点がぼやけてしまうよりも、良いものが作りたければ、まず自分のスキルを磨けばよいという単純な理屈はシンプルで気に入ってます。…‥いやこれは言い訳ですね。優秀な編集者であれぱ、どんな状況でも適切な人材を起用するカを持っていますし。私はデザインにこだわりがないので、蹟躊なく自分で適当に応急処置する方法を選んだだけといったほうが正しいかもしれません。


───他の漫画家の装丁を手がけることも多いですよね。


来る依頼を断ると仕事がなくなってしまいますから。設立当初は社名の認知度を上げるために会社名義でやってましたがだんだんそういう小手先の技も必要なくなってきたし、よつばスタジオをデザイン事務所と勘違いする人も増えてきたせいもあって、4年前からデザインの依頼は個人名義の仕事として引き受けています°装丁といつても.私の場合は作家や編集者のイメージを形にすることのお手伝いをしているだけなので、デザイナーというよりも出力センターに近い役割ですね。自分の輯集者としての視点から、自分の装丁を客観的にみると、評価は恐ろしく低いです。どれを見てもΓこれぐらいなら自分でもデザインできる」程度のレぺルを脱していませんから。



───それは自分でやってるのだから当然なのでは?


一応、いまのは笑うところです。会社を維持することに比ぺれは他人の役に立っている気分がストレートに味わえるので、そういう意味において襲丁の仕事はやっていて楽しいですね。



───社名にキャラクター名の「よつば」を冠したのは何か理由があるのでしようか。


極論を言えば、よつぱスタジオはよつばのために作った会社ですから。設立当初はそう説明してもあまり理解されなかったのですが、最近はようやく伝わってきたような気がします。



───今後の目標とかありましたら。


最終的な目標は「自分がいなくなってもよつばスタジオが正常に機能すること」と最初は思っていたのですがこれは一見謙虚にみえて、実はたんなる傲慢であることに先日ようや
く気づきました。これからも今までと同じぐらい頑張っていこうかと思います。

(初めてOCRを使ってみたんだけど、けっこう校正が必要なのですね。なんかすごい間違いが残っていそう。)