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収奪される生命

  1. 映画秘宝でかいつまんだ設定を拾い読みしたくらい。
  2. ピーター・ジャクソンは指輪が大変良くできていたと思うんだけど、その前も後も良く知らない。
  3. けど、なぜか、職場で「絶対とはいわないけど、観た方が良いと思う。もちろん自分は観て良かったと思う。」みたいな、ちょっと奥歯に物が挟まったような絶賛の声をあちこちで聞く。

なんかよくわかんないんだけど、これは観ておかないとマズイんだろうなぁ…、という予感というか強迫観念をここ数日感じていた。


で、合気道の帰りにTザワさんと芦屋でビールを飲んだ後、思ったより早かったので行ってきましたよ。発作的に。
プレイガイドは6時までだったんで、ギリ前売りは買えず、松竹は会員だったはずだけど会員証なんて持ち歩いてない。というわけで一般1800円。高いよね〜。まぁ、最近は時間がないんで仕方ない。観てナンボと。
国際開館の最上階で7時20分から最終上映。客の入りは5割強。


テーマがすごかった


たまたま、ヒューマンボディーショップという本を読んでいてね。この本は「生物と無生物のあいだで」などの著作で今や売れっ子の福岡先生が、15年前の京大時代に翻訳出版された、商利用される人体組織の実態についての本なんだよね。
これが、もうすごいの。15年前といやぁ20世紀末なんだけど、医学や科学の進歩で、人体の各部をパーツとしてどんどん利用しちゃおうっていう実態がね、想像の限界を超えてるの。確かにその方が儲かるからっていう理由なんだけど、そこまでするかってね。貧者の肉体を金持ちが買うわけよ。文字通り、勝ち組が負け組みを食うのよ。他にもね、母親が自分の子供の血友病を治療するためにもう一人妊娠するとかね。骨髄たまたま合致したけど、だめだったらどうするのよ?とかね。従来の伝統的なモラルだけでは判断できないし、かといって科学だけで人間の感情も割り切れない。そこにね、貧富の差、情報リテラシーの差が絡むもんだから、豚でもないことになる。
モラトリアム。ちょっとおいといてみんな判断できるようになるまであんまり進まんでいいんじゃないって気持ちは良くわかる。ビジネスだと結論を先送りするのは無能だけなんだけど、これ、ビジネスじゃないしなぁ。
と、まさに、人間の存在はどこから始まるのか、生体はいつどのような状態で死体になるのか、生物と無生物の狭間はどっちだ!的な話が延々続くんですよ。多分。まだ半分も読んでないけど。


こういう映画が作られるってことは、この混乱は15年経っても解決してないし、むしろ状況は悪化しているんだろうなぁ。宇宙人という設定は、人間を対置するためのメタファとして考えるのが自然ですしねぇ。
娯楽作品で、誇張されたSFフィクションなんだけど、極めて現実的に世界が直面する問題を描いており、深く考えさせられます。


筋もシンプル


基本は、主人公が、

  1. アクシデントにあって、捕まって
  2. 脱出して、あるエイリアンと出会って
  3. 襲撃して、脱出して
  4. ラスト〜

わかりやすい!
シンプル!!
複雑な筋立てを必死に考えたりせずにすみます!ありがとう!
アクションもたっぷり!サーヴィス・サーヴィス!
最後の対決はAVATORへの皮肉なんかな〜。
時間は2時間なかったのも素晴らしい。

細かいところ

「遺伝子書換えと、エネルギー源をひとつのアイテムの効果にマージする」というアイデアは、主人公達の行動モチベーションのベクトルを合致させるために、シナリオ上極めて重要な決断だったと思うんだけど、いまいち説得力はないよね。あと、液の色は白っぽかったけど、字幕では黒いって言ってたし、英語だとなんて言っていたんだろうか?
ナイジェリア人を狂言回しに設定したのも、なんとなく非白人人種としては腹に収まりにくいなあ。エスニック味を付けたかったのはわかるんだけど。

UI的なこと

ゼーガペインでもあったし、アイアンマン、AVATORでもあったヴァーチャル・キーボードや、バーチャル・タンジブル・インタフェースはあいかわらず盛況。アメリカはこういう方向に進みたいんでしょうかね? 触覚によるフィードバックがないんで個人的にはどうかと思うんだけど。タッチスクリーンUIの進化の先には、メカニカルなフィードバックは入る隙間はなさそうです。


いずれにせよ怪作ですよ。ぜひ、スクリーンでご覧あれ。

ヒューマンボディショップ

ヒューマンボディショップ

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)