整理整頓という病
プロセスは成果ではない。
テーゼだよね。
バックアップデータが整頓されていたり、サーバの管理がうまく行っていたり、人員リソースが先を見てうまく配分されていても、まぁ、当たり前としか思われない。
成果主義、売り上げが全てという考え中心だと、プロセスを極めても評価の対象にはなりにくい。というかもともとこういうことを正確に評価できる人があまりいない。つーか、プロセスを的確に評価できる人は、現場の最前線におった方が適正なリソース配分というもんなのだろう。それが今のたいていの企業の実態の気がする。
評価されないこと、褒められないことは、普通誰もやりたがらない。データを分類したり、ラベルをつけたり、整理整頓を絶えず行うことを習慣化させることは本当に難しい。本来、デザインという業務の基礎体力だと思うのだけど。
結局「病」になるしかないんだろうなぁと最近思う。
- データが整理されてないと気持ち悪い。
- 後で使うかもしれない書類はスキャンしてPDFにし、分類別のファイルネームをつけて保存しないと気がすまない。
- スクリプトを書くときはREMを入れないと気持ちが悪い。もちろん階層構造は無性にインデントしたくなる。
- 反復性が想定される業務はlogを残さないと気が狂いそうになる。
- 他の人が作った構造化していないAFXのコンポジションは全部作り直したくなる。
- 読んだ本で気になったことは、後でアクセスできるようにしないと落ち着かない。
- レイヤー名が1バイト文字で論理的命名でないと嫌だ。
もうこれは立派な強迫性障害なのかな。
そして、WEB技術の進歩がこうした強迫観念に付従う行為を無尽蔵に提供するようになった。全部保存しておきたい。きれいに分類し並べておきたい。いつでもアクセスできるようにしたい。
思えば、初めてエプソンのスキャナGT-6500を買った日、スクラップブックの色々なマークやデザインを橋からスキャンして行き、これも買ったばかりの80MBの外付けHDが数時間でいっぱいになったのも、一種の発作だったのかな。あれから20年近く経ち、ストレージフリーの時代にいつの間にかなっていた。
そういう病のお陰で回る現場というのもあるだろう。でも、これは伝染性がない病なのだ。あくまで属人的。伝播しない。一子相伝もない。継承されないので、その人が欠けるとやがてゆっくり崩壊する。しばらくはガワは残って機能するというのがさらに始末が悪い。形式だけ残る。これが病によってあがなわれた結果のもつ問題なんだと思う。
だからやっぱり病に頼らないシステムを、不効率でも、時間がかかっても、作っていかなくてはならないんだなぁと思う。
例えそれが病に突き動かされてだとしても。