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最後の一杯「戸越銀座・百番・特製酸辣湯麺」

一杯に己の器を知る

先日の出張の折、六本木から品川へ向かう途中、五反田で乗り換えて戸越銀座でおりた。商店街の中にある、百番という中華料理屋の「特製酸ラー湯麺」が評判らしいのだった。食べてみると百番の酸ラー湯麺*1はなかなかのものだった。唐辛子ベースで、酸味よりも辛さが際立っている。食べるラー油ブームが脳裏をよぎる。


血圧を計るようになってから久しく食べていなかった酸辣湯麺は、相当苦しいものがあった。悲鳴をあげる喉、無限に噴出す汗。以前、幾度となく体験しているはずだった。しかし何かが違う。率直に言って、もうこういうものを食べるのって、オレには無理になったんだなと思った。一杯のどんぶりに、己の器を知る。自分の限界をやっと知った気になった。引退だ。素直に諦めがついた。百番の酸ラー湯麺は最後の一杯にふさわしい味だったと思う。感謝の思いで百番を後にし、戸越銀座の商店街を朦朧としながら駅へ向かった。


私の酸辣湯遍歴帖はこうして幕を閉じた。3年前の2007年12月20日、渋谷の中国料理「一番」に始まり、2010年10月24日戸越銀座の「百番」に終わる。
1から100まで。
偶然にしては良くできた話だ。中国人の知恵には素直に頭がさがる。

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百番 戸越銀座店

食べログ 百番 戸越銀座店

後退する人生を生きる

ここがちょうど人生の折り返し地点なんだろうと思う。息子のお下がりのスニーカーを普段履きに使うようになって実感する。思うことが全て叶うような人生は、相当辺り構わない好き勝手・がむしゃらな生き方で、当然多くのものを落として来た。それを戻って拾うわけには行かないが、後の人生は残ったものを大切にしていく事だけでもしたいと思う。


もはや新奇に心赴くまま、始めることはあたわず。今いる場所、今やっていること、今繋がっている人だけを大切に紡いでいかなくてはならないような気がした。シュリンクもまた人の一生に定められたものだろう。


デザインの力は限りなく大きい。単なる見かけ上の良さだけではなく、組織のあり方、社会の仕組みまでを構築改変する。しかしそれも自分には過ぎた力かもしれないとふと思う。強い魔力に自ら溺れ滅びる魔法使いが、繰り返し描かれることを思い出す。

おそらく、ほかにさまざまなテーマや生き方を選ぶこともできただろう。しかしくり返しべてるの家を訪れ、そこにとどまり、みんなの話を聞き続けては記録するという日々を求めたとき、私はすでにこの社会の中心からそれ、昇る人生から降りていたのではないかと思う。ふり返ってみればそれは選択といえるようなものではなく、はじめから歩むことが決まっていた一本の細い道だったかもしれない。
エリ・ヴィゼールは『死者の歌』のなかで、「人間の中身が決められるのは、彼を不安にさせるものによってであって、彼を安心させるものによってではない」といっている。おそらくヴィーゼル本人ではなく、彼の師から伝えられたのであろうこのことばは、たんに金銭や名誉といったこの世の表層的な価値を退けるためにいったことではなかった。それよりはるかに深いところからの問いかけとして語られたことばだった。
              ──────斉藤道雄「治りませんように」 あとがきより

こういう本を、数時間で読み散らすような生活は、やはりどこか間違っていると思う。少しずつ、速度を落としたい。私も降りていきたいと思う。

治りませんように――べてるの家のいま

治りませんように――べてるの家のいま

拡大の中で降りていくには

降りていくのは投げ出すことではない。ただそれは現実にはとても神経を使う難しいことだと覚悟している。実際、企業に勤める身としては、更なる拡大を求められている。シュリンクする国内市場では一定の地位の継続を、そして北米、アジア、欧州への拡大を。こうしたプレッシャーがある事は多くの国内企業では当然のことだろう。


一方で、日本人の日本人による日本人のための商品作りに慣れた我々には、今後ありうるべき海外での勤務や、全くの異文化ターゲットの商品開発などは想像もつかない困難だと予想している。
その困難にどう立ち向かうかのかと問われても、求められること、やらなくてはいけないことを、職業的倫理観に沿って、できる範囲でひとつずつ片付けていく、くらいしか今のところ回答はない。

*1:百番のメニュー「近頃のおすすめ」にはこう書いてあった。