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お茶会の時間は終わった

TGS2010を視察に行く道すがら、のぞみの車中で大塚さんの「作画汗まみれを」読んだ。この本を読むのは確か2回目。1回目に読んだときは、東映の入社試験にあった「杭を打つ男の子のアニメーション」にとても感心したものだ。その後、このテストは私も繰り返し新人にやらせている。


それにしてもこの本はモノ作りへの愛に満ちている。特にこの本の白眉は大塚さんのアニメーターとしての職業意識にあると思う。それは手塚治との対話によく現れている。

手塚先生は「何も私のキャラクターでなくても、大塚さんのやりたいキャラクターで自由にやっていただいて結構です。作家として思うように映画を作ってください」とおっしゃっていました。この「作家」ということばで多少議論になりました。
大塚「作家というのは先生ご自身のことで、私は自分のことを職人とか、労働者というように規定していますし、そのほうが正確なのですが……」
手塚「とんでもない、あなたはまぎれもなく作家ですよ。月岡君からもいろいろと聞いています」
といった不毛な会話でした。実験的な作品は、別になんの技術的蓄積がなくてもできますし、誰もが「作家」であり得るのです。この場合、作家論はことばの遊びにすぎません。

作家ではない。職人である。この職業意識からは、技術的蓄積がない実験的作品を作り、アーティストぶることへの嫌悪感さえ感じられる。
一方で大塚さんは、そこまで「作家志向」の強い手塚治が、アニメーション本来の表現手法を大胆に省略した「止め」「3コマ撮り」を多用し、それが一般に大きく受け入れられることに衝撃を受け、そうなった理由を考える。そして、アニメーションの受け手自らが間を補うさまに、歌舞伎や能に繋がる日本人の伝統的感覚を考察し、この変化を今日の世界的なジャパニメーションの評価へ発展してきたターニングポイントとして位置づけてている。しかし、それでもなお、「2コマ」にこだわり、往年のディズニーが有していた技術の習得が日本の開発現場に十分で行われなかった点について、手塚治の所為を追求する姿勢に微塵も変りのない、丁寧ではあるが容赦のない、精緻な記述がこの本の痛快なところだ。

こうして日本のアニメーションは新しい時代を迎えました。新しいというのは「セルが少なくても、あまり動いていなくても、イラスト集とさほど違わなくても、きちんとした演技を追及しなくても」成立するという時代です。1963(昭和38)年という年は、日本のアニメーションの技術的な大きな区切りとなったのです。


しかし、2コマや演出にこだわった大塚さんとその仲間は、会社の方針に反して「太陽の王子 ホルスの大冒険」を作りこみすぎてしまうのだった。(一度中断させられ、最後もかなり不本意な部分が多数あったそうです)

いうまでもないことですが、企業(会社)は趣味で映画を作っているのではありません。利益を生み出すために、金儲けのために作っているのです。しかし、作り手の私たちはそれだけではなく、ストーリーやキャラクターの行動を通して何かを表現しようとしています。それに、技術的良心といいましょうか、できるだけ完成度の高い映画を作りたいという願いがあります。完成度の高い映画と会社の利益というものは、決して矛盾するものではないのですが、そこは〝映画は水もの〟といわれるように、必ずしも一致しないことが多いものです。金をかけたから、いい映画だから当たるとは限りません。

この作品は結局興行成績は、残念ながら振るわなかったそうだ。そして結果、多くの人が東映を去るきっかけとなっってしまった。しかし、こうした結果より、大塚さんが一番後悔したことは、自ら推薦した演出の高畑さんが、「ドラマの中の人間の在り方」について悩んでいるとき、十分な聞き手になれなかったことだという。それどころか早々に描き手として技術的な部分に逃げ込んだと反省し、変わりに宮崎さんが最後まで高畑さんと悩みを共有したと述べている。私は「作家」を否定した大塚さんらしいふるまいだと思うのだけど、仲間として辛さを共有できなかった点には忸怩たる思いが残るのは良くわかる気がする。例えそれが自分の限界だとしても。


それにしても、技術的な、一種の職業的倫理観から発した作品が、結果として作家が技術なしで作った実験作と、表面上は同じ扱いを受けることがあるというのは皮肉なことだ。それでも、私たちデザイナーには職業的倫理観が必ず必要だと私は信じている。クライアントの意向は絶対ではあるが、私たちの作り出すものは、世の中の役に立つものであって欲しいといと願っている。この本のページのどこを繰っても、そのことを色鮮やかに想起させてくれる。多分、手元にあっても良い本なのかもしれない。


この時代のことを、高畑さんの視点から見られることも、この本の極めて優れたところである。

しかし、一般観客は普通の日本人としての「好み」を作り手と共有しており、これまた当然ながら、東映動画作品が示したこのような諸傾向に関してとくに問題にしなかった。「面白いか面白くないか」がすべてであり、もしアメリカ的なものが見たければ、アメリカ製の作品を見ればよいのだから。また、一般的な映画評論家はアニメーションがどうあるべきかの理想像を持たぬ人も多く、できあがった東映動画作品に対する評価も決して低いものではなかった。表現の質や密度については、むしろ現場のわれわれがあきれるほど甘かった。むろんお子さま向きということではじめから評価基準を下げて(バカにしていて?)いたためもあっただろう。
       ──────高畑 勲「60年代頃の東映動画が日本のアニメーションにもたらしたもの」(大塚康生「作画汗まみれ」に収録より抜粋)

60年代に日本の長編アニメーションが登場したとき、それは娯楽としてすみやかに深く受け入れられた。
ふり返ってゲームの歴史を見れば、アニメーションから20年遅れるだけで、同じく「一般観客は普通の日本人としての「好み」を作り手と共有し」幸福な時間を過ごしてきたと思う。


ずいぶん、大塚さんの本の話が長くなってしまった。そもそも、TGS2010に行き、ゲームもアニメーションも作り手が受け手と同じ気分を共有していた幸福な時代は終わったんだろうなと嘆息したことを書こうと思ったのだ。

  1. 高騰した次世代機向け開発コストは、もはやシュリンクしつつある国内マーケットでは投資を効率的に回収できない。従って北米を主な顧客層にせざるを得ない。
  2. これもまた経営効率を上げるため、ヒットしたタイトルの続編、シリーズ物を作る傾向が現在は極めて強い。しかし続編に新しい要素を入れる際に、作り手側と既存ユーザーの気持ちの食い違いがどうしても目立ってしまう。

これはずいぶん一面的な見方かもしれない。ただ、既存の国内のコアなゲームのユーザー層が、相当なストレスをかかえているように最近良く感じる。
おそらくゲーム制作においても、自分の趣味趣向はいったん横におき、ペルソナを正確に設計し、データによって設計されたシナリオに従って制作し、その後小まめにユーザー調査をして調整するような、他の業界では当たり前になってきている、ものづくりのプロセスが必要になってきたように思う。それは今までの、ある種勝手な、それでも大多数に受け入れられた「一般観客は普通の日本人としての「好み」を作り手と共有」した作り方に比べ、相当たいへんなことだ。そういう思いから「情報デザインの教科書」をお手伝いさせていただいたという気持ちもある。

私達のお茶会(アフタヌーンティ)は終わりの時間を告げようとしています。

香港返還を前に、英国はこの事態をどう捉えるのかという少し意地の悪い質問に、パッテン総督がそう答えたと何かで読んだ記憶がある。
ある種の戦略的撤退の場に瀕してユーモアを忘れないというのは、英国人から大いに学ぶところである。


何となく、久しぶりにアニメーターズ・サバイバルキットを紐解きたい気持ちになった。

作画汗まみれ 増補改訂版

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アニメーターズ・サバイバルキット

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情報デザインの教室 仕事を変える、社会を変える、これからのデザインアプローチと手法

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