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ギャップと、それを超えること

12家族住んでいた長屋を更地にして、8件の分譲住宅を建てる。

mixiのレイアウト変更とは、つまるところそういうことなのではないかと思う。
新しいモニターや、新しいPCを買えない人はゴメンナサイ。所得の差で足切をして、より収益性の高い体質へ変わっていく。マーケットセグメンテーション自体は企業の選択肢として状況によってはありえる手法だ。


ウルトラセブンXの発表があったとき、あの現代的なマッチョなスタイルが、本当に嫌だった。何か、自分の大切な記憶をめちゃくちゃにされるような気がした。「セブンは胴が分厚くて足が短い、あのスタイルじゃなきゃダメなんだ。どうしてわからないのかな?」って、くよくよ何時間も思った。でも、良く考えたら、今の若い人(あれは子供向けではないのだ)は、新しいセブンのほうがカッコいいって思っているかもしれない。実際、こないだ行った三鷹の成田さんの展覧会では、ウルトラセブンをデザインする際に、何度も体型の違う役者さんにしてくれって円谷に掛け合ったけどダメだったという記述だってあった。あの体型はあくまでも苦肉の策で、ぼくはそれを真に受けて単に刷り込まれただけなのかもしれない。そうなると、昔のセブンの体型じゃなくちゃ我慢できないのって、30代後半より上のぼくらの世代だけなってしまうのだろうか。

新しく作る作品は、当然海外も視野に入れているだろう。そうなると欧米的な体型のほうが、視聴者は感情移入が容易だろう。その方が作品のヒットにつながる。

確かに僕自身、最近セブンの商品をバンダイから何か買ったかといわれれば何も買っていない。ガッツウイングも結局買わなかった。あんなに面白かったメビウスを最後に平成ウルトラシリーズが終わったって、文句が言える筋合いではない。

そう、つまり、30代後半より上のぼくらの世代が、このまま年をとって死んでしまえば、昔のセブンが良かったなんていう人間は、地球上から一掃される。きれいさっぱりと。そうなったとき、新しいしがらみのないマーケットに向けて、過去の優良なコンテンツを、現代にあった形でリファインして届けるというのも、ビジネスとしてはわかりやすい話だ。

けど、企業はそれまで待っていられないし、まぁうるさいおじさんには上手に言って理解してもらおう。何しろ大人なんだし。っていうオペレーションを上手に行った例が、LEGO・9Vトレイン廃盤のお知らせであり、あんまりうまくなかったのが冒頭のMIXIだったのかもしれないと先日ウルトラセブンX第一話を見ながら考えた。(あぁもちろん二話以降は見ないよ。)

ぼくたちがもっとずっと若かったころ、「早く退場してくれねーかな?」って思ってた、ごちゃごちゃうるさいばっかりで、ろくに役に立ってねーようなじいさん連中という存在に、自分がいつの間にかなりつつあるという事実に気がつき、少しショックを受けた。

「ウゼー爺さんみんな死ねばいい」とか思っていたけど、まさか「早く逝って!」と思われる側になったとはね。

時代に紐付けられた感情や意識なら、時代の流れと共に淘汰され行くのは当然か。
やれやれだ。

でも、そろそろ、そうでない、時代が来ても良いんじゃないかなと思う。
そのためにぼくたちは、子供のころからLEGOで脳を拡張する訓練をして、多種多様なコンテンツを享受し、現在は多種多様な情報機器と接続され、爆発的に身体性を拡大している最初の世代になったのだ。
せめて何か、普遍的なモノ(=概念・価値観、結局は情報か)を何か残してから逝(行・生)かなければ、申し訳が立たない。どんなにビジネスにうんざりしたり、オノレの無能さにがっかりしたりしようとも。

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