tQy

主観時間の制御

今夜は筑波研修センターに泊っている。シングル一泊3600円とべらぼうに安い。お風呂・お便所は共通だが、旅が続くと大きい湯船で足を伸ばせるのはかえってありがたい。ご覧の通り部屋はいたって殺風景である。クリームがかった白い壁に鉄製のベッド。机、椅子、棚、エアコン。以上。まぁシンプルといってもいいかもしれない。払い下げられたような古い事務机に腰かける。傍らのスチール棚にはA5サイズくらいの鏡が置いてある。ふと一番底の板を見る。何か古い記憶が一瞬で呼び覚まされる。


私はここに来たことがある。


急に強くそう感じた。
おそらく20年以上前に、筑波大に推薦入試で来ていた時のことに違いない。もちろん受験は失敗した。面接で「ニュートンの物理三原則」「水溶液中に塩素イオンがあることを調べるためには?」などの質問に全く答えられなかった私に、面接官の先生は困ったような顔をして最後の助け船を出した。「貴方は小論文に生物の中で共生する生命のことを記述しているがその具体例をあげよ。」そう、それは、細胞内のミトトンドリアやゴルジ体が、かつては細胞の外にいた別の生命体だったという、当時私が読んだ本について書いた文だった。こうした細胞内共生について正直に述べればよかったのだが、私はなぜか躊躇した。学校では教えられていなかったことだったためか、当時はアヴァンギャルドな説と感じていたかは忘れた。そして面接は終わった。こういう挫折は、早いうちに味わった方が良いというのが私の今の考えである。


筑波の講演はお陰さまで好評に終わった。諸々の事情により私的なエッセイ風の話で、(あまり仕事の話ができない替わりに)趣味のインタフェースと合気道の話をした。「甘味のある技」つまりは入力の前後に体験が拡張する話だ。これは「モノのデザインからコトのデザイン」の話とピッタリと重なるのである。「体験のデザイン」とはユーザーの「主観時間を制御」していくことに行きつくという深い話なのだ。実際は内田先生や山崎先生の受け売りに、ちょっと味付けしただけなんだけどね。パワポも前作ったものに鰻のタレよろしく継ぎ足したものだしな。
具体的にデザインの現場でどう表現するかは秘密である。実際は極めてシンプルなことなので、ぜひうちのゲームをプレーして観察してみてください。


駅前のヴェトナム料理屋で軽く打ち上げをして研修センターへ戻ってきた。バスから見る風景は20数年前とは随分変わった気がする。京都北山にある石屋職人の方の話を思い出す。人工物が形として一端完成しても、さらに人為的に自然にさらすことで味わいを出す。人工の街もいい塩梅で苔生してきたのかもしれない。山や空の色は異なるんだけど、西神中央にも同じ変化を感じる。住みやすくなったような気がする。あぁ、これも「モノのデザインからコトのデザイン」の話だな。


バスから降りて歩く郊外の闇は深い。あの時、宿泊先で隣になり、旅先の不安からか仲良くなった田中健一郎くんも、仲良く?筑波は落ち、地元の大学へ行き、地元でガス会社か公務員かに就職していたよなぁと記憶の糸をたぐる。それにしてもあの面接は印象に深い。

  • 普段から基礎的な理論は見につけておくこと。
  • ここぞという時にビビらずに言っちゃう度胸をつけること。

20年以上も前に学んだことだが、身につくにも、20年近くかかったかもしれない。いや、まだ十分に身についたとはいえないなぁ。

●参考サイト