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スティーブ・ジョブズの死を悼む

ジョブズが亡くなった。
体調が思わしくなかったのは知っていたが、あまりに急だった。CEO退任からわずか2ヶ月。まさにギリギリまで働いていたことになる。


正直、最近のアップル製品は全く持っていない。変わらず関心はあったが、かつてのアップルに寄せた熱情を今は持っていない。ぼくにとってアップルが最も輝いていたのはapple][だったし、アップル製品を最も使っていたのは15年近く前だ。


最近、スクラップブックを整理してそのころの記事が出てきた。
1994年12月号のMacworld。阪神淡路大震災の1ヶ月前。このころは毎月Macworldを読んでいた。まだ、デザイナーですらなく、自前で揃えた2viでillustratorグラフィックデザインを独学していたあのころだ。


ガイ・カワサキが多少皮肉混じりにだが、NeXTで謙虚さを身につけたなんて紹介している。
あれから、多くのことがあった。
ぼくが、企業経営とデザインの関係について考えるとき、アップルとジョブズのことを真っ先に考える。アートディレクションとはジョブズのように振舞うことだ。



この切抜きの裏側はこうなっている。

恥ずかしい話だが、この記事の後半で「ネガティブな意味でよく表している」という言葉の意味が、本当にわかってきたのは最近のことだ。



われわれはひとつずつ先人から学ばなければいけない。
ジョブズへ手向けられた多くの言葉に、多くの人にとって、彼は自分が好きだった禅のメンターになったのだと思った。


アップル製品は使わなくなったが、ジョブズの思想・哲学は毎日のように愛用している。これからもお世話になるだろう。