tQy

異なる身体性は一緒にいてツライ

あいつは指先に神経が行き届いていない。
モノの大切さもわかっていない。
いくら頭が良くても、良いものを作れても、ああいうタイプとは一緒に仕事をしたくない。
机を並べることすらイヤだ。

ぼくにとって、キャメラや双眼鏡などの光学機器を無意識に床に落とすのは、自分に移植される人工臓器を床に落とされるようなものだ。
消しゴムや鉛筆、カッターなどの道具を落とすのも、義肢やメガネを落とすように感じる。
全て自分の体の延長として働いてくれるモノたちなのに、どうしてぞんざいに扱うのか。「別にたいしたことない」って感じで。


道具を大切に使わない人間は嫌いだ。本当に嫌いだ。
こういうとき、「最近の若者は〜(ry」とか言いたくなるんだろうけど、ぼくは我慢しよう。単に気が合わないだけなんだ。実際、よく考えたら、気が合わない人は年齢に依存していない。


思えば、今まで何社かで仕事をしていて、共通して嫌なヤツはいつもタイプが決まっている。

  1. 同じ会社に所属していながら、取引先のルールを自社の利益より尊重するヤツ。「お前、誰から給料もらっているの」って聞きたい。「ひょっとして何かもらってんじゃないの」って勘ぐりたくもなる。「いつか刺されればいいのに」と思うが、こういうやつは結構しぶとい。
  2. 必死に仕事しないヤツ。「どれぐらい真剣に希望しますか?」ってバカ、いつも100%真剣なんじゃ。お前みたいな殿様商売してないわ。
  3. 客の都合と上司の機嫌で、反射的に常に後者を選択するヤツ。両方何とかすんのが仕事やろが。楽ばっかすんな。ボケ。


ここまで書いて、さっきはすこぶる感情が高ぶっていたんだけれど、数十分たってやや冷静になってきた。ゆっくり考えてみると、これはたぶん、ぼくの方が少し病んでいるのだと思う。モノに対する偏愛や、自己同一性が少し常軌を逸している。昔デパートで、ミクロマンはおもちゃ売り場でなくて人形売り場だったんだ。あれは今でも許せないよな。でも今は一社会人として、しょうもない自意識より、家族や周囲との調和を選択すべきなのだろう。

今は、多少落としても壊れない製品が求められているわけだし、モノは大量生産で、常に代替可能だ。修理するより、新商品を買う時代なんだ。古いものは忘れて、壊れても新しいものを自由に買えるよう、がんばって働いて収入を増やせばいいんだ。あぁ、でもそんなベクトルで今まで生きてきてないんだよな。だいたいお金を惜しんで古いものを大事にしているわけじゃない。(ヤツラにはわかんないみたいだけどな)

自国内の農産物でせっせとオレンジジュースを作るより、オーストラリアの大規模農家〜ジュース製造一貫工場で製造した製品を輸入した方が、コストが安いだけでなく、地球全体で見た環境コストも低くなるって言うのを読んだ(文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下))ときに感じた「そんなんあり?」見たいな気持ち。


実際世の中は想像以上に複雑で、日々科学の研究が進む中、過去の常識はどんどん書き換えられていく。そういう変化に慣れなければいけない。そう自分に言い聞かせる。生き延びるためには必要なんだ。


ああ、いやだ。本当にイヤだ。


自分の息子を相手にここまで身体性の違いを感じるとは思わなかった。
(ヤツはさっきスコダを観に行く際に、ぼくから借りた双眼鏡を廊下で落としたのだ。それも、不慮意で。信じられない。)
遺伝的に半分は同じでも、他者は他者だな。
さっき、あらためて実感した。


そうした前提で人は付き合っていくのか。難儀だ。

●最近のグチ(まとめて読むとさらに憂鬱)