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打海文三さんのこと

まだ入手できない

「覇者と覇者」がAmazonで購入可能になっている。
角川のHPでは29日の発売予定だった。おかげで出張中に六本木や品川の本屋さんを何件も回ったが、どこも入荷していない。地元に戻って、喜久屋書店を回ったが、先週末の金曜(31日)まで入荷はなかった。どうでも良いが、西神中央には本屋さんが4軒ある。そのうち3つまでが喜久屋系列だ。残りのひとつがそごう4階の紀伊國屋書店喜久屋書店は、最近、店頭に広げられていたディアゴスティーニとか、ガチャガチャとか、きれいになくなっている。何か指導が入ったりしたのかな?


西神は住所パワーで見れば三ノ宮とそう変わらないBクラスなんだけど、実際は地下鉄で三ノ宮まで30以上かかる。以前レンタルビデオ屋がなくなったときは本当に往生した。実質まぎれもない田舎であり、ひとつ間違えば、陸の孤島なのだ。数年前にそごうが経営危機のときは、西神店も存続の危機にあった。だから、できるだけAmazonではなく地元の本屋で買うようにしている。


しかし、毎日店に顔を出しても、いっこうに「覇者と覇者」は目に付かない。聞くと同じ系列でも、店ごとに取次ぎも違うらしい。やれやれ、新刊すら満足に発売日に手に入らない時代になった。それでも、どうやら連休明けには入荷するらしい。後しばらくの辛抱だ。amazonで注文するのはもう少し待とう。

歿した作家たち

打海文三さんの小説は「ハルビン・カフェ」から入り、「裸者と裸者」を読み、「アーバン・リサーチ」シリーズを時間の流れに沿って読み、その他の著作も一通り読んだ。同時代性を維持しながら、翻訳のバイアスなくこの人の作品が読める幸福を愉しんでいたら、昨年亡くなったという。


ギャビン・ライアルさんの「ランクリン大尉シリーズ」のときも、ちょうど4作目を読みおわり、とても満足した直後に、ご本人が亡くなっていることを知った。たいへんなショックを受けた。遺作だったのだ。献辞に覚悟を匂わせる趣があり、意識しつつ訳されたと翻訳者の方から教えていただいた。いっそう悲しみが増した。そのときの感覚に近い。ライアルさんは父の本棚に会った「深夜・プラス1」からの、まさに数十年のお付き合いだったが、打海さんはわずか数年だった。だが、長さの違いにかかわらず、強い喪失感と哀惜の念に駆られる。例えば、手塚治が亡くなった時には全く感じなかった感情だ。たくさん読んだからというわけでもないようだ。


没後に出版された「ドリーミング・オブ・ホーム&マザー」の解説を生前親しくされていた池上冬樹さんが書いている。故人を偲ぶ文章としてこれ以上はないだろう。

装丁について思うこと

打海文三さんの本がそれほど売れなかった理由に、装丁に恵まれなかったことがあるかと想う。ご本人もそれはずいぶん気にされていたようで、短編集「一九七二年のレイニー・ラウ」の中の一遍「ここから遠く離れて」の中でイラストレーターを変えたことについての細かい記述があったかと思う。

■マガジンハウス刊行の初版ハードカヴァー







中央公論新社でタイトルと表紙が変更された新書版





中央公論新社で文庫本化された、「中公文庫」版
おそらくイラストレーターは上記新書版と同じ方かと思われます。





幻冬舎で刊行された「ピリオド」も「苦い娘」と改題され「中公文庫」に収められている。もちろん同じイラストレーター、ブックデザインだ。終の棲家となる出版社、本当に力になってくれる編集者やイラストレーター、デザイナーをやっと見つけ、これからもっと執筆に集中できる体制が整ってきた矢先ということなら、なおさら悲しい。

●関連サイト

一九七二年のレイニー・ラウ (小学館文庫)

一九七二年のレイニー・ラウ (小学館文庫)