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クリエイティヴを育成

劇的クリエイティブ講座

劇的クリエイティブ講座

この本は、九州・熊本へ向かう電車の中で読んだ。
昨日の晩、家に帰ってきて、まずは〝馬刺〟や〝熊本城〟の話を書くより、この本のことが何だか書きたくなってしまった。


JAPAN国際コンテンツフェスティバル(通称:コフェスタ)というイヴェントが、東京で最近毎年行われている。その中のイヴェントの一つ、「トップクリエイターたちによる、1人3時間のライブトーク『劇的クリエイティブ講座』」を後で本にしたものがこの本。
そういえば去年、コフェスタ、行ったよね。神戸からはるばる。こんなこともやってたんだね。この本自体は、〝日本は今後クリエーター立国になるべきで、そのためにクリエーターになりたいという人を助けたい〟という趣旨で書かれているように思う。講座っていうくらいだしね。
ぼく自身はクリエーターの育成する側で日々悩んでいて、どちらかというと短期的には緩やかに失敗している気もするし、試行錯誤の毎日。*1
だから読んでいて「おお!そうだよ」とか、「ナルホド」とか、思うこともあって、とても印象に残った本になってしまったのかな。


一読して、8名それぞれに特徴があり、当然少しずつ考え方や物の見方の方向が異なる。そして、〝1人〟3時間っていいながら、毎回必ずゲストいる。まあ3時間ぶっ通しで1人でしゃべるのはツライ。経験上、かなりツライ。咄家でもないしね。それに、聞いている方もゲストがいた方が話しに幅が出て良いかもしれない。そしてそのゲストは、たいていホストとほぼ同年代であり、その年代の独自性がより際立つようなキャスティングがされている。このいわば縦と横を併せて読むことで、各クリエーターのそれぞれの世代や、それぞれの立ち位置が明確になる。そして同時に全体としてクリエーター育成についてプランナーが何を伝えたかったのかが、より明確になるように試みられた本のように感じた。
もう少し丁寧に説明すると、例えばイヴェントでは映像が上映できたり、出演者の服装や演出、そもそもライブだったりと、本ではできないことが多い。それでも本にまとめることには大きな価値があったと思う。単にイベントに参加できなかった人に情報を提供するということだけではない。全部を読むことで全体としてわかる、ということだ。イヴェント全部に参加できる人は本当にわずかだと思うので、このメリットはなかなか大きいんじゃないだろうか?


太字のサブタイトルは、本の中の扉に記されていた章ごとの見出しの引用です。

日本人の自分が持っているものを、ハイブリッドに融合させる。

Host :佐藤 可士和 1965
Guest:水口 哲也 1965

佐藤さんのデザインは、なんか「はい、この辺がいいんでしょ。」というボールの投げ方*2が個人的にはあんまり好きじゃなかったし、デザイナーとして凄い売れているってだけでもうダイキライ!ってそれ単なる嫉みやん、て感じだったんだけど、ユニクロの仕事はとても理にかなっていて好感100倍。ロジックを愛する人間としてデザインが実社会で機能することは、とても美しいこと。
で、ゲストの水口さんもこれまたカッコえーな。この人の作品を見ると、いつまでも「もぐら叩きの延長」のようなアーケードゲームを作ってご飯を食べ続けていることに、ちょこっと悩んでしまうのでこれまた困っちゃうという、なんとも自虐度300%な人選にいったんは頁を閉じる。ふわぁ〜、パタン。
ぼくより3歳年上のこの世代は、昔から何でもできたし、流行を発信していた気がする。永遠の兄貴。絶対、追いつけない。ピッタリ1965で揃えて、冒頭にこの二人を持ってきたのは明らかに明確な編集意図があったなぁと。そんな風に思いました。

圧倒的に安心させながら、どうしようもなく不安にさせる小説を書く。

Host :川上 未映子 1976
Guest:山本 充 1973
Guest:市川 真人 1971

川上未映子作品は、最近カミさんが図書館で借りてきたのを立て続けに読んでいたので、内容理解がとても容易。というか、この本すらカミさんが借りてきたのを横から読んでいたのだ。ビクターが会社として未映子に求めたことと、本人が望んだことの相克とか、北海道のタワレコ?でオンストアライブをしているときの客の集まらなさっぷりの寒さとかね。これなんて、新商品のロケテをやっては見たけど、朝から客が全く寄り付かず、ディレクターとプロデューサーの顔色が時間と共にだんだん青ざめて行くようなね、そういうことを思い出しますよ。リアルにね。あと、不採用の曲をこっそり次回混ぜ込んだら最高点だったというのは、最近読んだ「たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する」という本などにも似た事例があったような気がする。結局、芸能の世界も偶然に支配されている。みんなもっと確率や統計学、心理学を学んだ方がいいんだよね。

市川 僕らが未映子、あるいは川上未映子に作品を書いてもおう、場所を用意しようと思えた理由の一つには、「ユリイカ」や「早稲田文学」が、商業性からは若干隔たった場所、つまりは自分の趣味判断を信じて、それだけ載っければいいや、と思うことが許される空間だったことは大きいし。

こういうことがまだ言える文芸の世界はまだ豊潤。商業性から若干隔たった場所がゲーム業界にあるかな?同人?いいんだけど、それだけ?
収録曲が50曲以上あれば、若干の趣味性を前面に押し出した選曲や実験的な新しい映像表現は許されるはず。それを何年も続けることで少しずつ何かを変えていくことは可能だし、資本がある我々がそういうことを積極的にやるべきなんではなかろうか?など、色々考えさせられます。

緊張するからこそ、大きなショウを作ることができる。*3

Host :松任谷 正隆 1951
Guest:羽広 克成 1962

本人は肩の力を抜いてみたいなことを言っているけど、ぜんぜん抜けていない。最後にユーミンが出てくるとかね、ショウ・アップのしすぎというか、ちょっとツライ。何というの?コントロール症候群。ゲストが自分より年下の人っていうケースも少ないんだよね。事前ミーティングが一番長かったって、プロデューサーたいへんだったね。大御所で気を使ったんだね。でも、これくらい病的にコダワルというのも職能としては必要という点を、若い人は読めばいいのではないでしょうか?ただ、ここら辺はぼくの守備範囲外って感じでざっとしか読めませんでした。いちばん世代の違いを感じます。

巻き込まれることを楽しんでいるうちに、こうなった。

Host :大宮 エリー 1975
Guest:板尾 創路 1963

読んでいてたいへんおもしろかった。多分聞いていてもおもしろかったと思う。ライブっぽい感じ。「役に立つ」と「おもしろい」は違うんだけど、おもしろい方が後に残るので結局役に立つのかもしれない。


●作品つくりに大切な3つのこと

  1. 巻き込まれることを〝楽しむこと〟
  2. 想像力というか、相手の気持ちや立場になるっていうのがすごい大事
  3. 「人間が好き」と同時に「人間が怖い」


黒澤をこないだまで観たことなかったって、とても嬉しい。情けない話だけど、ぼくも去年初めて七人の侍を観たから。
独立して仕事を断れなくて精神的に潰れてしまい、仕事を断ったら干された。
→舞台の仕事が来た。
→もちろん断らない。
→巻き込まれ続けていく。
Roll with it,Baby.
こういう話は何かいいよね。本人はたいへんだったとは思うけど。セーフティネットは作るもんじゃなくて気付くもんなんだよみたいな。

もの作りの目的は、隣の人を喜ばせること。

Host :藤村 忠寿 1965
Guest:嬉野 雅道 1959

ぼくはテレビっ子じゃなかったんであんまり知らないんですよ。テレビのこと。だから有名な芸能人とかテレビ番組の名前とかカミさんに言われても「ふ〜ん、で?」って感じで良くわからないんですよ。申し訳ないんだけど。だけど、地方での作品作りや状況という意味ではとても興味深く読みました。神戸で10年以上ゲーム作っているし。あと、この本の中で「サラリーマン俺だけじゃん!」っていうのもね、共感できます。ぼくもサラリーマンだし。
組合活動で、一番問題になるのは、経営者でなくて同じ社員。だからお昼に30分、全社員の話を順番に聞いていった。という話はとてもうなずける。「全力でうなずけ!どんなにくだらないと思っても、全部うなずけ!俺率先してうなずくから」って本当に良いよね。でも今なら、昼休みは自分のために使いたいってヤツも多いんだよな。やれやれ。

藤村 ものを作る奴は休まなきゃいけないと思うんだよ。ずっと働いてて、いいものが出来るわけないよね。
嬉野 そう思う。みんながそう思うといいんだけどねぇ。
藤村 こういうことをこういうところで言うとさぁ、全員うなずくんだよ。「そうですよね」って。じゃあおまえ休むのかって言ったら、意外とみんな休まない。「いやぁそうはいってもね」なんてまたずいぶんと普通に働いちゃって、それで「激しい激しい」なんつって、「藤やん励ましてください」なんてサイトに書き込んじゃってさぁ、馬鹿野郎知ったことかよ、休めよそんなんだったら!休むために努力してねぇんだろう!って思うんだけどねぇ。

これは激しく同意。休むことを自分の次の仕事への充電として、明確に意識化することは、大切な仕事。休みをひねり出して、持ち出しで勉強するっていうのは、生き残るために必須だとぼくも思います。

藤村 でも絵としてはありえない。
嬉野 ありえない。パンパンカットが変わっていくから。
藤村 でもこの人がやっていたら「あ、聞きやすいなぁ」とおもってさぁ。
嬉野 耳が気持ちよかったら見てられる、っていうのがあるんだよ。
藤村 そうそう。果たして他のテレビを作っている人間が、あそこまで作りこむだろうかっていうのは……あるよねぇ。ほんとだったら、「そうだよねぇ、おー」の「おー」は切る。でも俺は「おー」の前にわざと間を作ったり、その間が0.1秒だったり、0.01秒にしたりとかっていうのを、ずーっとやるからねぇ。今DVDを作るのに、昔のオンエアの元テープを持ってきて、画像をきれいにする作業をやってもらってるんだけど、その人が言っていたらしいね。「ありえない」って。「あまりにも編集点が多すぎて、すごい時間がかかる」って。それだけ手間かけているってことだよ。

テンポに併せてカット編集するっていうのも同意。映像クリップの制作という業務で確認作業をしていて、「楽器の音や曲の流れを本当に聞いているのか?」と思うことは多い。まぁ、60fpsで1コマは約0.16秒。これでもあわせられないタイミングはけっこうあるんだよね。人間の聴覚の時間分解能はかなり高い。


砂の問題については、それで社会全体がよくないと言い切るのは勝手かなと思う。ちょっとぬるいなと。世界がだんだん悪くなっていることは、そもそも織り込み済みでしょう。When the World is Running Down You Make the Best of What's Still Around.
それでも、6歳上の先輩に「先生」と呼びかける姿勢が美しい。

突出した才能はなくても、上手く組み合わせることで何かができる。

Host :FROGMAN 1971
Guest:椎木 隆太 1966
Guest:山中 浩之 1964

個人的に「Flashアニメの盛勢とその後の収束」は、リアルタイムで見ていた。仕事で。映像制作の新規委託先開拓業務の中で。2005に大阪で開催されたJAWACONも行ったんじゃないだろうか。本当に近い位置から見ていた気がする。
映像やイラストレーションを個人に直接発注することもあるけど、量が増えるとやっぱりIMAGICAさんにまとめてもらった方が楽だったりはするんだよね。ただ、それだと伝わることが減っていくのも事実。だから結局は双方の担当の力量と熱量がモノをいうのだ。
ゲストのお兄さん方の年下へのまなざしが厳しくも優しい。

「なりたい」と思っている人はなれない。

Host :石川 光久 1958
Guest:三池 崇史 1960

石川 出来上がったフィルムを観て、みんな静まり返るときがあるらしいんですね。出資者が「これ、いいんかな……」ってみんなが不安そうなときに、三池監督はこう言うらしいんですね、「変な映画ですね、これ」って。
三池 まあ、これはこうとしか言いようがないですもんね。
石川 その意図はどうですかね?
三池 どうでしょう。一つには出来上がってしまったものはどうしようもないっていうのがありますよね。とやかく言われてもなって。とやかく言われる前に自分で言っておくかって。

あたりが、あいかわらずの三池節で楽しい。石川さんは何回もやっているみたいでちょっと飽きてきたのかな。

日常会話から今という時代が浮かび上がる。

Host :堤 幸彦 1955 
Guest:長坂 信人 1957 堤監督の所属する会社の社長
Guest:山内 章弘 1969 東宝
Guest:多田木 亮佑 1958 堤監督の友人で俳優
Guest:松田 誠 1967 舞台制作会社社長
Guest:冨永 理生子 東映
Guest:飯沼 伸之 1970 日本テレビ
Guest:甘木 モリオ 1962 映像制作プロダクション
Guest:植田 博樹 1967 TBS

ぼくは、この人がいちばんおもしろかった。おもしろくてためになった。
日常の会話から自分たちの制作の状況をより良く伝えたいというサーヴィス精神。
最後に持ってきた編集の意図も良くわかろうというものです。
これは、ダラダラと書いてある文章を延々読んで欲しいですね〜。楽しいです。
発言者のバックグラウンドを把握しながら読むと、楽しさ倍増しますので、ぜひメモをとるか274頁にしおりを入れて読まれることをお勧めいたします。w
堤監督の作品は実は今まで一つも観ていないんですが、今度観てみようと思いました。

長坂 堤監督はすごいいい人なんですけど、同業者にはけっこう激しいですよね?
堤 ええ、いい芽は早めにつぶさないと……職場が荒らされますから(笑)。そこを乗り越えてくる奴が欲しいわけですよね?
長坂 そうそう。います?
堤 あんまり……。

いいなぁ。やっぱりそうなんだ。採用にかかった人事のコストとかはあんまり考えずに、使えない、向いてない人には迅速に引導を。再出発が若いうちにできるので、結局はそれが本人のためにもなります。残った人が幸せになるためにも、それは絶対必要です。
そういうことなんですね!堤監督。

松田 ライブというものは今も昔も絶対にその場じゃないと体験できない。実際に今、演劇はわりと追い風なんですよ。やっぱりコピー出来ないっていうのが何よりも強い。音楽も映像も何でも簡単にコピーできちゃう時代なので。
堤 ダウンロードできないコンテンツ。

ライブ重視は最近良く聞くなぁ。

飯沼 ただ最近、時短とか「働くな」とか、そういうのはよくないと思うんですよね。本人が楽しんで仕事をしてちゃんと成果が得られるって、いいことじゃないですか。堤さんなんか、ずーっと仕事していますからね。
堤 ええ。私は残業も何もないんで。日本テレビ的にはあるんですね。
飯沼 ありますよ。強制的に休めとか。
堤 8時間労働とか。昔はテレビ局には残業成金みたいな奴がいっぱいいましたけどね。
飯沼 最近はなかなかそれも厳しくて、休め、休めってなるんですけど。面白いことをやっている場合は、別に働いたっていいじゃんっていう、そういう空気がなくなっちゃってるのが残念だなと思いますけど。
堤 みんなじゃあ、終わったらすぐ帰っちゃうわけですか。
飯沼 そうですね。夜中の2時とかに電話が出来ない。

いやもう、まるで同意なんですが、残念です。増えるといいなと思います、ではすまされない状況なのでは。残業って新人がスキルをためるための時間でもあったと思うんですよね。職人的スキルは回数を重ねないとどうしても身につかない。池谷先生の著作を紐解けば「脳の大脳基底核での直感の発現は、繰り返しの訓練でしか養われない」のは明白。でも現状だと若い人ほどOJTする時間がない。これじゃあ、まずいよね。経済産業省厚生労働省とちゃんと話し合って欲しい。右手と左手がやってることが違いすぎる。
一方で、藤村さんのいわれるような「休む必要性」もあるんだけどね。働き方の自由度とそれを上手にやり繰りする能力だと思う。現場をもっと信じて欲しいし、同時に現場もこういう管理を従来よりも知的に上手にできるようにならないとね。

植田 僕は、エクセルが招いた最大の功罪は、予算の管理が誰にでも出来るようになったことだと思うんですよ。誰が何にいくら使ったかが一目瞭然に……。
堤 まあね。昔、イギリスでラッダイト運動というものがありまして、機械による労働の省力化が盛り上がったときに、失業をおそれた人たちが「機械自体を壊してしまえ」っていう、本末転倒の運動があったわけですけど、それに近いものを今感じました。エクセル自体を粉砕してしまえと。
植田 エクセル粉砕!エクセルを粉砕しないかぎり、いい加減な企画って進んでいかないですから。

激しく同意。w でも、どんな環境でも、生き残るっていうのが、この商売で喰っていく奴らの本能。エクセルの裏をかくステキな現場もきっとあるんですよ!でも、この本、脚注やたらと念が入っているんだけど、エクセルの説明がないのはどうかと。FCPもイラストレータもこの本を紐解く人間なら常識では。むしろ、エクセル!とにかくエクセルですよ。あと、パワポ。www


おまけ
未収録

Host :見城徹 1950 
Host :リリー・フランキー 1963

ご本人の意向により収録が叶いませんでした。とのこと。
うーん。なんでだろう。印税の折り合いがつかなかったとか、そういう感じの人ではない。他の収録者との関係やろね、と勝手に推察。「この人と同じ本には収録されたくない」みたいな。違うか。事前に詰めきれず見切り発車?織り込み済み?そら、全員入れたかったやろが勢いって大事やし、ねえ。プランナーたいへんやな。みたいな川上未映子風に〆。w

*1:もちろんプロジェクト的にはある程度成功しているから、誰からもとがめられないし、ご飯が食べられるんだけど。

*2:えっと、伝統的な勉強や実践をとことんやった人間が、あえて伝統からちょっと離れたことを綿密な計算と相当の修練の上で、それでも一見、平然と易々やっているかのようにアウトプットするということ。

*3:ここは漢字じゃないんだよ。地の文も〝出来る〟じゃなくて〝できる〟にして欲しかった。