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リーダビリティとユーザビリティ

「読者に対する敬意」というのはメッセージではなく、メタ・メッセージのレベルにしか表れないからである。
メタ・メッセージとは「メッセージの解釈仕方を指示するメッセージ」のことである。
「後ろの方、聞こえてますか?」というようなのが典型的なメタ・メッセージである。
メタ・メッセージの特徴は「その解釈については誤解の余地がない」ということである。
当然ながら、メッセージの解釈についての指示が複数の解釈を許したら、それはメタ・メッセージの役を果たさないからである。
「後ろの方、聞こえてますか?」という問いかけに対しては「聞こえます」と(論理的には奇妙な話だが)「聞こえません。もっと大きな声でお願いします」という回答しかない。
仮に「後ろの方、聞こえてますか?」というメタ・メッセージに対して無反応な聴衆がいた場合、私たちは彼らが上記二つの台詞のどちらかを口にするまで、つまり「解釈に誤解の余地がなくなるまで」メタ・メッセージの発信を繰り返すことになる。
メタ・メッセージというのは「その意味が相手に一義的に伝わらない限り、意味をもたない」メッセージであるという点で、その他のメッセージとまったく異なるのである。
「読者に対する敬意」もまたメタ・メッセージとして示される他ない。
それは「私が語るこの言葉は『ぜひあなたには理解してもらいたい』という気持ちを込めて語られている」と読者に告げる。
そこで語られているコンテンツがどれほど難解であっても、どれほど容易な接近を拒んでいても、「読者に対する敬意」というメタ・メッセージを感知できる読者に対しては、テクストはつねに開かれている。
リーダビリティとはそのことではないかと私は思う。
             ─────── リーダビリティについて(内田樹の研究室)

お稽古に1ヶ月以上来られない内田先生のblogを読む。UI(ユーザインタフェース)におけるSE(サウンドエフェクト:効果音)の重要性について、こないだ話したことを思い出した。
今一度、マンマシンインタフェースにおける効果音の重要性について書き留めておきたい。そういえば、リーダビリティとユーザビリティは似ていますね。でも、カタカナ多いな。


さて、パソコンは必ずしもスピーカーが接続されているわけではないためか、WEBデザインの世界でGUIとSEの関係について述べられた話はあまり聞かない。初期のhtml(ハイパー・テキスト・マークアップ・ランゲージ)において、音声のコールが簡単に定義できなかったのはそういう理由もあったのではと思う。
しかし、アーケードゲームの世界では、音声出力は標準的に装備されている。コインを入れたら「チャリン」とスピーカーから音が鳴るのを思い出して欲しい。


I/O(インプット・アウトプット:入出力装置)が一様でない、さまざまであるのがアーケード機器の特徴だが、①選択ボタンと②決定ボタン、もしくはそれに代替する機器が最低必ず付いている。そしてこれには通常、それぞれ別の音が割り振られる。
擬音語、オノマトペに頼れば、「カラカラ」と選択肢を選び、「バシュッ」と決定する。そんな感じ。
作っていて実感するが、音が入るとUIは本当に良くなる。音があるとないでは相当気持ちよさが違うのだ。だから、画面のイメージに合ったSEを依頼するところまで、UIデザイナーの仕事だと私は考えている。


①選択と②決定以外に、もうひとつ重要な音がある。押したけど実行できないことをプレーヤーに知らせる、③ちょっと残念な音だ。「ブブッ」とか「ビビッ」とか「プシューッ」「パギャッ」っていう、ああいうヤツ。決定不可音というとちょっと硬いのでキャンセル音*1とか残念なSEと呼んでいる。


ボタンを押しても反応がない。あれが一番いけない。ボタンをガチャガチャと連打しているのは、退屈で不満なのだ。
「説明を書いていますから。」そういう言い訳をよく聞く。しかし良く考えて欲しい。読むのと聞くのとどちらが早いか。識字率が高い日本向け専用ですか?


例えば、「はい、こっちはこれ以上行けません。お手数ですが反対方向のボタンを押して戻ってください〜」とか、「わかったよ、もうこの画面は十分見たんだね。次の画面行きたいんだね。うん、次の画面へこっちも早くスキップさせたいんだけど、ちょっとデータが重くてね、ちょっと待ってね。ちょっとでも退屈しないように、アニメーション演出を出しとくね」など、そういう意味でのキャンセル音なのである。これを文章で書いて説明するのはかなりブサイクだしお客さんに失礼なのだ。


だいたい、そういう話をする。
リーダビリティの要諦が「読者に敬意を持つ」のと同様に、ユーザビリティの実現には「プレーヤーに敬意を持つ」ことが大切なんだと思う。そしてそれは、すごい曲とか、難解な譜面とか、ヌルヌル動く神動画とか、そういうコンテンツ部分*2ではなく、いわゆる足回りの良さ、丁寧なシステムの作りこみでしか、万人に示せないように感じている。


声高に現状の問題点や自分の提案を延々と語るのも良い。けど、「君らの話はいくら論理的に思えても、ロケテストユーザビリティテストで検証しなければ、全て妄想なんだよ」というと、新人さんたちは唖然としていた。*3
「仮説を立てるのは自由だし、大切なことだが、それを実験で検証すること。しかも何度やっても再現しない限り、それは科学とは言わない。さらにビジネスである限りはスピーディに何らかの結論を出す必要がある」
私らはこういうことを10年以上体験し積み上げてきた。小理屈はおいておいて、まずはいうとおりお作法として丸呑みして欲しい。そういう話を毎日胃を痛くしながら延々としている。*4


シリーズが10年を超え、ネットワーク対応によりシステムが複雑化して行き、コンテンツ自体がどんどん高難度化しても、コアユーザー向けに偏った商品にならず、常に初心者にも開かれたものであって欲しいと私は考える。そのためには「誤解しようもないメッセージ」を積み重ねていくことが大切だ。ゲームのスタート〜エンドで、共通のキャンセル音*5が過不足なく実装されていることは、そうした積み重ねのひとつとなる有用なお作法であると私は信じている。


それは「後ろの方、聞こえてますか?」というプレーヤーからの問いかけに対して、「聞こえてますよ」or「聞こえません」と、ひとつずつ丁寧に答えて行くということでもある。

●この「後ろの方、聞こえてますか?」という話は今までにも何回か出てきたんだよね。切り口は少しずつ変っているんだけど。

*1:本来のキャンセル音は解除っぽい感じでちょっと違う気もする。流用することも多いんだよな

*2:これらは、評価に一定以上の習熟を要し、しかも多義的に評価されるため、恩恵を受ける相手が常に限られてしまう。

*3:真実はときにはランダムという不合理に思える衣をもって現ることがままある。こうした現実には常に謙虚に接していたい。

*4:もちろん破壊的創造がそこには同居していなければならない。形式だけを模倣する輩はもっとたちが悪い。魂が生きている限り、体は何度でも壊した方が良い。

*5:①決定音や②選択音は、階層や意味づけが異なることがあるため、それぞれに対応さえしていれば複数あってもいいのではと思うが、③キャンセル音だけは1種類の方が「不可」を意識下へ刷り込む意味で効果的。