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コンパクトデジカメ

いわゆるハイエンド・コンデジ*1が好きだ。
小さい箱にいろいろなものを必死につめているとこが好きだ。
それはまるで、美しい幕の内弁当のようだ。
これこそ、まさに、日本人が正倉院の時代より得意とし、遥かな過去よりこの地で手がけてきたことなのだ。


しかし、バージョンを重ねるごとに次々と仕様を追加していっても、基本部分の再設計は絶対にありえない。
だいたい、人はいつだって足りないし、そんな社内アピール度の低いタスクに、大事なリソースを割くなんて想像すらしない。そしていつしか、誰もがシステムの全体像を掴めなくなっているとすれば、そんなに素晴らしいことはない。
決して欧米の合理主義者どもには真似のできないことなのだ。


そんな状況にもかかわらず、今期の売り上げのためだけに、とりあえず動くものを作ろうと、必死に働き心を病んでいく社員の姿を思い浮かべると涙を禁じえない。


他社に負けまいと、既存の設計ベースで、あらゆる機能を両立させようとして、結局何にも特化できないユーティリティーバカっぷりには、役立たずなデザイナーとして親近感を感じぜざるを得ない。


単機能が使いやすいのはあたりまえだ。そんなことはバカでもわかることだ。難しいことだから取り組んでいるのだ。誰が求めているかは関係ない。それはマーケティングのやつらにやらせればいいのだ。スイスアーミーを見ろ。30以上の道具がついている。
そんな開発の声を想像するのも微笑ましいことだ。


四角いコンデジが好きだ。
丸みを帯びたコンデジが好きだ。
どちらにしろ、結局、あんまりデザイン的に優れたものがないところが、逆にいとおしく思える。
日本的だ。
全く持って、日本的だ。
おかげで、価格の割には安っぽく見える外見になる。
でも、そこがイイ。


性能はいい。かなりイイ。
外見の割にはかなり撮れる。
しかし決して一眼にはかなわない。
そのスタンスがいい。
控えめだ。
分と云うものをわきまえた存在だ。


数年で、陳腐化するコンデジが好きだ。
小型化されたCCDのおかげで、新機種でも絵作りに限界が来ているところも好きだ。
すでに、フラッグシップ全く発売されない、進化の袋小路に入っているところがたまらない。ヤフオクのアラートで気になっていたコンデジの出品がわかる時ほどどきどきすることはない。


広角気味のレンズを搭載したコンデジが好きだ。
望遠よりのレンズを搭載したコンデジが好きだ。
結局、どっちつかずになり、中途半端なコンバージョンレンズが色々用意されているコンデジが好きだ。


変な機能がたくさん搭載されていたコンデジを大いに懐かしむ。
そうした機能が全く使いにくく組み込まれているところもいい。
さらに、マニュアルを読んでも使い方が把握できないメニュー構造がすばらしい。
メーカーごとに、良くわからないアイコンをどんどん作り、混沌としているところがすばらしい。カオスだ。
全く持ってカオスだ。全てはカオスから生まれる。


電池がもたないのもいい。必然から、まめに面倒を見ていて愛着がわく。
さらに、新商品を出すごとに、ニッケルリチウム電池の規格が変わるところも、技術者のこだわりが感じられて好ましい。統一なんてクソですよ。


ただ、今回でうんざりした。


ピントを手動ですぐにあわせれない。
シャッターチャンスをいかせないグズ。


ごめん。次は一眼を買います。

*1:写真と文章は全く関係ありません。また、内容は全くのフィクションです。