なぜ、切符の記憶はなくなったのか?
電車に乗って、どこに切符を入れたか良く忘れる。
まったく覚えていない。冷静になって、自分がしそうなことをゆっくりと思い出す。だいたいしばらくすると見つかる。
ただ、今日はだめだった。
品川でのぞみを降り、都内は下車可能な新幹線のチケットを使い、千駄ヶ谷で降りようとしたらチケットが所定の位置にない。仕方がないので、品川からの190円を払う。本当は発駅(新神戸!)からなんだけど、品川からでいいですとお仕着せがましくJRの人に言われた。まぁ、そんなところか。最大、区間3倍だしな。
自分の脳で行った行為なのに、一遍の記憶にも残らないというのは、本当にすごいことだと思う。そこまで、無意識に自動化している脳の仕組みに感動すら覚える。それとも、ある段階までは切符の所在は意識にあり、その後短期記憶を長期記憶に変換するプロセスで、情報の選択が無意識に行われ、忘れ去られているのだろうか。意識についてわかっていることはまだ少ないそうだ。
それとも、切符がなくなったのは、右ポケットが破れて底が抜けているJohn Partridgeワックスド・シューティング・コート*1のせいなのかな。