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なぜ、切符の記憶はなくなったのか?

電車に乗って、どこに切符を入れたか良く忘れる。
まったく覚えていない。冷静になって、自分がしそうなことをゆっくりと思い出す。だいたいしばらくすると見つかる。
ただ、今日はだめだった。
品川でのぞみを降り、都内は下車可能な新幹線のチケットを使い、千駄ヶ谷で降りようとしたらチケットが所定の位置にない。仕方がないので、品川からの190円を払う。本当は発駅(新神戸!)からなんだけど、品川からでいいですとお仕着せがましくJRの人に言われた。まぁ、そんなところか。最大、区間3倍だしな。


自分の脳で行った行為なのに、一遍の記憶にも残らないというのは、本当にすごいことだと思う。そこまで、無意識に自動化している脳の仕組みに感動すら覚える。それとも、ある段階までは切符の所在は意識にあり、その後短期記憶を長期記憶に変換するプロセスで、情報の選択が無意識に行われ、忘れ去られているのだろうか。意識についてわかっていることはまだ少ないそうだ。


それとも、切符がなくなったのは、右ポケットが破れて底が抜けているJohn Partridgeワックスド・シューティング・コート*1のせいなのかな。

*1:一生モノとかうたっていて、20年持たないんだからなぁ。イギリスの紳士は継ぎを当てて着るっていうけどそうするべきなのかな。メーカーから修理用の生地をわけていただけるといいんだけど、正規代理店がないっていうのはこういうときつらいよね。だから、POLO/RALPH LAURENの店員の感じの悪さにガマンできるかというとそれも違う。ままならないものだな。