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現場の職人と研究者の関係

「海洋図の歴史―人は海をどのようにイメージしてきたか」を読んでいて、次のような記述があった。


船乗りと科学者の溝が埋まることは、探検の進展にとって非常に重要だった。


大航海時代に突入し、大西洋や太平洋を航行するには、航海技術の発展は不可欠だった。(実際は逆かな)ただ、メルカトル図法を数学的に理解し、方位を「風の三十二位」から、360度で考えれるような船乗りの登場には、長い期間が必要だったと聞く。大航海時代以前、地中海の中(緯度のゆがみが少ない)や、大西洋沿岸部を航海している間に関しては、文中に下記のように記されている。


航海図が美術サロンで珍重されて船乗りの手には届かずとも、船は目的地に着いた。


もはや、船は港に着くことを保障されない時代になった。しかし、ぼくたち、インタフェースデザイナーの手に、航海図はあるのか?そしてそれをきちんと読解できるだけのインテリジェンスはあるのか?エンタテインメントにしろ、日常のインフォメーションにしろ、今後さらに情報化が爆発的に進むのは間違いない。情報の海は、近海から大洋へと大きく拡大して行く。まさに情報の大航海時代だ。
もちろん近海の水先案内人もいいだろう。シロッコに吹かれる職人生活で一生を終えるのもロマンだ。
ただ、大きな海があるのに、渡ってみたいって思わない手はないよな。しかも、ぼくたちがそれをしなければ、大勢の人がプアなインタフェースに右往左往して、かなりお気の毒な状態になってしまうのだ。(特に日本はヤバイ気がする。任天堂は確かにがんばってはいるが)ホントは、人のためというより、身の回りにしょっぱいデザインがあふれることに我慢できない。うん。我欲です。
と、そういうことを考えて、ヒューマンインタフェース学会へ入会しようとしたり、色々本を読んだり、日々考えているのです。


ちなみに、この本は、「世界図の歴史―人は地球をどのようにイメージしてきたか」「天球図の歴史―人は星空をどのようにイメージしてきたか」と3部作みたいなんだけど、上記の「海洋図〜以外」は入手がちょっと難しいですね。ぼくは図書館で借りました。