tQy

MyFirst LEGO

だれでも最初の一冊があるように、ぼくにも最初のLEGOがある。

#643 Mobile Crane (ナンバーロクヨンサン モービル・クレーン)だ。
箱やマニュアルはすでに失われ、その後に購入したセットにパーツが埋もれ行く中、このキットを同定できたのはLUGNETのおかげだ。失われた組み立て方も、今ではネット上に有志の方の手でアップされている。この、①ネット上のボランタリーなDB群と、②デジラに代表されるネット上でのパーツのバラ売りは、ぼくにとってインターネットの普及が生んだ21世紀を最も代表するエポックメーキングだ。


これにより、どうしても欲しかったけど、結局買えなかったあのセットたちを組み立てる可能性がぐっと現実になる。失われた過去をマニュピレートできるという、タイムスリップにも似た自己の感覚の大きな拡張感。実際には、NETの回線がすき気味なとき、気になるマニュアルを少しづつダウンロードするだけしか今のところできないにもかかわらず感じるこの至福!

そう、PDFをブラウズしながら「いつか手がすいた時、気になるtechnicを全部作ってやるぞ!」と心にささやくときの喜びは、筆舌に尽くしがたいのだ。(もちろんそんなときは、あと何十年かはおそらく来ないのだが!)

足りないパーツはデジラで買えばいい。国内では入手が難しいパーツも、海外のサイトに行けばたいてい揃う。どうしてもなければ、手持ちの部品から削りだしたり、加工してつくったってかまわないのだ。とにかく、組み立て方はわかっているのだ。単純にそう思うだけで、すごい多幸感が湧き上がる。

高度に洗練されたセットを組み立る際に、連続する瞬間としての「指と視覚のハーモニー」。優れた設計者の思考を追体験しながら、指先の3次元構造を脳内に倒置しているような感覚のほとばしり。それは、加速しながら仮想に構築される高密度情報へ身体性の拡張がもたらす高揚感であり、実際のところ何物にも変えがたい快感なのだ。

こうして、慣れればマニュアルを「読める」ようになり、実際に作る行為自体は一度構築された回路をたまにメインテナンスするに過ぎなくなっていくようにも思う。

●関連サイト