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編集者の心得

編集者という仕事がある。
普通のグラフィックデザイナーは、編集者と仕事上の関係が深い。
ただ、ぼく自身はゲーム制作のデザイナーをしているので、直接プロの編集者の方と呼べるような方と組んで仕事をしたことは今まではない。


一方、ぼくたちの場合は、作曲者の意向に従った映像クリップを作成するにあたり、イラストレーターに映像に使用する絵だけを発注するような場合がある。*1
そして、その場合、作曲者の意見を右から左へイラストレータに流して、うまく行くことは、ほとんどない。
作曲者が言葉にできない、楽曲の世界観に関する意向を汲んで、イラストレーターにわかるような言葉に翻訳したり、反対にイラストレーターのスケッチから、実際に上がるであろう映像を作曲者にわかるような言葉でうまく説明しなくてはいけない。ユーザーの反応を想定したり、映像演出上の効果を計算したディレクションも同時に行う。


「情報を集めて、編んで、次へ渡すのが、われわれの仕事だから、私たちの仕事は編集的側面を理解し、実行しないとうまく行かないよね。」


そんな話も以前後輩とした。
人に言ってみて、初めて自分たちの仕事と編集者の仕事の共通点*2に気がつく。ダイアローグ。声に出して、人と話すって大切なんだなと今にして思う。


そういった経験から、編集という仕事には興味があったので編集者という病いを手に取った。もちろんヒットメーカー幻冬社の本は何冊も読んでいる。
著者・見城氏は、作家にとことん付き合ったり、会社のお金で毎晩やたら飲んでいたり、そういった人間対人間の付き合いを強調*3した上で、売れるコンテンツの条件を次のように規定する。

  1. オリジナリティーがあること。
  2. 明快であること。
  3. 極端であること。
  4. 癒着があること。


個人的には、4の「癒着があること」というのが大変面白い。
著者によれば、公文の本を出せば、公文に子供を通わせている父兄は義理でも必ず買うだろうという意味らしい。
要は、人的しがらみからでも良いので、とにかく鉄板で読める数字が見込める業界を狙え!ということか。ぼくはこういうストレートでちょっとユーモアを感じる提案が好きだ。4つあれば、一個くらい、こんな面白い視点を入れたいものですよ。


残念ながら、後は、想像以上に退屈してしまう本。尾崎の件とか最初は引き込まれ、切ないのだが…。やはり、編集者という黒子は、黒子に徹するのが美学だと思った。
ただ、以前読んだ昭和出版残侠伝と同じく当時の編集者の生態を知る意味はでは興味深いかもしれない。仕事の風景は、誰かが筆で保存しないと確実に消えてしまうから。


最後に、カバーの裏の見返し写真の犬がとても可愛い。結局、見城さんにとって、人はすべからく飯の種なんで、犬しかいないんだろうな。人生、良い目も見たが、因果な商売。まさに病か。
そういえば以前、角川春樹わが闘争―不良青年は世界を目指すという自伝的著述を読んだけど、親分と子分というのは、考え方がやはり似てるというか、行動理念に相似形を感じた。

*1:ゲーム業界では珍しいのだけど、ぼくたちの部署では結構ある業務なのです。

*2:だからといって、雑誌の文字校正をぼくらがするのはおかしいと思うよ。行頭の音引きが平気なエディターって本当にイヤだ。

*3:以前芸能事務所に勤めていた人に聞いた話。やっと仕事を終えて、何とか終電に間に合って、家の近くの駅について、ホッとしていると、担当しているアーチストから携帯へ電話。「今から打ち合わせがしたいんだけど、どう?」って、言われ、「いいよ、今から行くよ。」ってタクでアーチストの近所のコンビ二で落ち合い、朝まで話し込む。けど、内容はほとんど仕事とは関係ない。「普通のサラリーマンなら怒るよね?」みたいな話と共通するものがある。うちもサウンドといい関係作るんは、似たようなもんなんだけどなぁ。違うのは自腹ってとこかな。^^;